(93) あるブラジル人女性が見た日本

ミス日系人に応募したさん四世の女性たち

ミス日系人に応募した三・四世の女性たち

ブラジルには150万人の日系人が住んでいる。最初の移民が上陸してから一世紀を経た今日、世代は移り、今や三世、四世の時代になりつつある。この世代になると、日系人の半数は混血になり、日本語を話せる人たちは稀で、現地の文化と習慣を身につけ、ブラジル社会にすっかり溶け込んだ、紛れもないブラジル人たちである。祖父母は既に他界し、両親もブラジル生まれの彼らは、日系人であるという自覚はあっても、日本の国に関する生の話を直接聞かされたことがないため、日本の国を身近に感じることはなく、感覚的には、日本はイタリア、フランス、イギリスなどの国々と何ら変わりのない、外国の一つである。

その点二世は、日本語を話せる人が多く、日本生まれの両親からさんざんすばらしい祖国の話を聞かされてきた人たちなので、日本に対する関心も高く、一度は訪れてみたい国に違いない。そんな二世たちも、今では大部分の人たちが既に高齢者の域に達していて、訪日の夢を実現した人たちも多くいる半面で、何らかの理由でまだ日本を知らず、今生での訪日をなかば諦めてしまっている人たちも少なくない。

山に囲まれた盆地にあるモジの町

山に囲まれた盆地にあるモジの町

私は、やもめ暮らしをしていた昨年、ある二世の女性と知り合った。彼女は、日系人が人口の一割を占める、モジ・ダス・クルーゼスという町で、ブチックのチェーン店を経営する60代の未亡人であるが、大の旅行好きで、北米やヨーロッパの国々はほとんど訪れているにも関わらず、意外なことに、まだ一度も日本に行ったことがないという。

彼女の父親は東京都出身で、1935年に16才で家族と共にブラジルに移住し、同じ頃、やはり家族移民で3才で渡伯した、大阪府出身の母親との間に生まれた、いわゆる純血の二世だ。

父親からいつも日本の話を聞かされていた彼女は、訪日の願望は常にあったにもかかわらず、今まで行かなかった理由は、ある「情報」が、亡夫(日系人)と彼女に日本行きを躊躇させていたからだ。

その「情報」というのは、日本を訪れた同じ二世の友人たちの体験に基づいたもので、日本(特に都会)では「日系ブラジル人は馬鹿にされて恥ずかしい思いをする」、というものだった。それは駅などで、通りすがりの人に(日本語で)、行き先を言って乗り換え口を訊いたりしようものなら、「そこに書いてあるだろう!」とガイド・ボード(大部分が日本語表示)を指さして、つっけんどんに言われることが、ほとんどだという。また、ウインドーのおいしそうなサンプルを見て、レストランに入ったまではいいが、メニューが読めないために、サンプルを指さして注文せざるを得ず、その度にウエイトレスの冷ややかなまなざしが気になって、肩身の狭い思いをするという。

日本語表示の案内板

日本語表示の案内板

日本人からすれば、世界には日本語を話せても、読めない人たちがいるという現実を知る由もないので、日本人の顔をした者から日本語で訊ねられれば「訊くより、読めばいいだろ!」ということになるのだろうが、一方の読めないガイドボードやメニューを前に、立ち往生状態になった二世は、冷たく扱われてバカにされたように感じられ、人によっては、日本(日本人)に対する良いイメージが、一瞬にして壊れてしまうほど、屈辱的な体験だという。

全てのガイド・ボードやメニューをローマ字併記にすれば、この種の外国人とのトラブルは未然に防げると思われるのだが…。

笑えない笑い話のような理由で、数十年も訪日に踏み切れないでいた彼女の話を聞いて、私は、ぜひホピタリティー豊かな日本を見せて、誤解を解いてやろうと思い、今年の4月、桜の咲く時期を選んで、彼女を同行して帰国した。以下はそんな彼女の日本に対する印象だ。

右も左も日本人だらけ:

日系人は人口の1%に満たない雑多民族の国で生まれ育った彼女は、最初に訪れた東京の雑踏で、前後左右見渡すかぎり、100%が全て日本人であることに違和感を感じ、慣れるまで、しばらくは居心地が悪そうだった。

女性のファッション:

商売柄、まず女性のファッションに目がいったようだ。最初、東京の女性たちは服装がテンデンバラバラで、ファッション性が不在の印象だったようだが、2,3日するとそれは、それぞれが個々にコーディネイトされていて、極めて個性的なバラエティーに富んだ、ファッション性の高いものだとの見方に替わった。

男性の服装:

女性がバラエティーに富んだ服装で街を歩いているのに比べ、男性は、年齢に関係なく、一様に黒っぽいスーツを着用していることを、「ペンギンの国みたい」と、とても不思議がっていた。

石庭にしばし佇む

石庭にしばし佇む

桜:

今年は暖冬で、例年より十数日桜の開花が早く、東京に到着した日には、既に桜は散っていたが、数日後に訪れた京都では満開で、その美しい景観に、心から感動していた。

雑踏と秩序:

繁華街や駅などで、見渡す限り人で一杯の雑踏でも、行き交う人々が、衝突したり肩が触れ合ったりすることなく、そのくせ、かなりのスピードでスムースに流れていく現象は、多民族国家のブラジルでは先ず考えられないことで、「思考プロセスが似かよった単一民族ならではのものかしら」、と驚いていた。

東京の地下鉄:

サンパウロにも地下鉄はあるが、その路線は縦横斜めくらいなのに比べ、網の目のように張り巡らされた東京の地下鉄には驚嘆していた。毎日のように利用したが、エスカレーターが設けられた出入口はあるものの、その数は少なく、徒歩で階段を上がり降りするケースが多いことにうんざりしていた。路線の乗り換えのために、かなり長距離を歩かねばならないことに、「電車に乗っている時間より歩く時間の方が長いみたい」と言って参っていた。また、ブラジルでエスカレーターを駆け上がる人は先ず見かけないが、日本では、幅の狭いエスカレーターの半分を空け、一方に寄って立つ人たちの横を、猛スピードで駆け上がる人たちが多いことに驚いていた。「なぜ日本人は、動いているエスカレーターを駆け上がるのかしら?」

市街を走る人たち

朝、駅の近くで、(多分電車に遅れまいと)走っている人たちが多いことに、目を丸くしていた。ブラジルでは、市街を走る人を見ることは極めて稀で、昔から、街を走っている人を見れば、スリか泥棒と思え、と言われている。朝の電車は2~3分間隔で発車するにも関わらず、乗り急ぐ人たちに首をかしげていた。「日本人、そんなに急いでどこへ行く」

一人歩きする子供たち:

街中で、制服にランドセルを背負った小さな子供が、一人で路線バスに乗り込み、慣れた素振りで定期券を車掌に見せて、また下車してゆく姿を、目を丸くして見ていた。治安の悪いブラジルでは先ず考えられないことで、学校には親が車で送り迎えするのが当たり前だからだ。

電車内のケイタイ電話:

電車に乗ると、ケイタイを手にして、黙々と操作している人たちが、とても多いことに驚いていた。ブラジルでは、携帯電話はその名の通り、話すために利用する人がほとんどだが、日本では電話機能が付いているケイタイ・パソコンといった感じで、もっぱらインターネットやメッセージの送受信に使っていて、話している人は極めて少ない、との印象を受けた。

ごみ箱が無いっ!

東京の街路にはゴミ一つ落ちていないことにまず驚いた。彼女はチリ紙を捨てようとゴミ箱を探したが、どこにも見当たらない。日本では、それぞれのゴミは、自分の家に持ち帰ることになっているので街にゴミ箱は無いのだ、と聞かされて、もう一度驚いた。「ウソっ、ブラジルでは考えられないっ!」

ゴルフの練習場:

東京の都心にある、3階建ての半円形のゴルフ打球場で、打席にずらりと並んだゴルファーたちが、黙々とただひたすら正面のネットに向かって、ボールを打っている姿には、かなり驚いたようだ。ゴルフを始めたばかりの彼女は、ボールを打ったら自動的に次のボールがティーアップされるメカニズム(ブラジルには無い)が、すっかり気にいって、暇があれば打球場に出向いて、時を忘れて練習をしていた。

日本製のゴルフクラブ:

ビギナーの彼女は、アメリカ製のクラブ(テーラーメイド)を購入して使っていた。平均身長175センチのアメリカ人女性用のクラブが、150センチそこそこの彼女にはイマイチ合っていなかったようで、日本で購入したブリジストン社製の女性用クラブを手にした途端に、飛距離も方向性も別人のように良くなった。「信じられないっ!」

食事:

とんかつ、すし、刺身、うな重、天ぷらなどが特に気に入ったようだ。特に刺身は(例えば鯛など)、ブラジルでは味わえない身の締まったシコシコ感に、(大西洋と太平洋の)「生息する海の違いかしら?」と首をかしげていた。

秋葉原:

秋葉原のヨドバシ・カメラに入った途端、溢れるように陳列された電気製品に圧倒されて目を丸くしていた。彼女は、1階から10階までの売り場を、精力的にくまなく歩きまわり、カメラ、パソコン、炊飯器、美容器具、化粧品などを買いまくった。特に気に入ったのは、ウオッシュレットで、結局3台購入し、わざわざカバンまで買って、ブラジルに持ち帰った。ブラジルにはまだ余り普及していないポイントカードのシステムが気に入ったようで、経営する自分の店舗に導入を決めたようだ。東京滞在中は、飽きもせず、毎日のようにヨドバシ・カメラに通っていた。

箱根で温泉を楽しむ

箱根で温泉を楽しむ

温泉:

箱根の日本的な自然の風景は、ブラジルの自然とは異なって情緒に溢れていると、滅法気に入ったようだ。初めて入った温泉がすっかり好きになり、病みつきになってしまった。九州一周旅行に参加して、別府、阿蘇、霧島温泉を歴訪したが、どこでも必ず朝晩湯に浸かって、温泉を心ゆくまで楽しんでいた。

新幹線から富士山を望む

新幹線から富士山を望む

新幹線:

正確な発車時間、スピード感、清潔な車内、目まぐるしく移り変わる風景など、驚きの連続のようだった。

店員の応対:

商売柄、お店の店員の応対に注目していたようだ。業種に関わらず、どんな店でも(おそらくマニュアル通りの)丁寧で質の高い対応には、感心しきりであった。

夜半の街:

何度か、夜遅くに街を歩くことがあったが、夜半に女性たちが一人歩きをしている姿を見て、ブラジルでは考えられないことなので、日本の治安の良さ(ブラジルの悪さ)を痛感したようだ。

ゼロ戦の前で

ゼロ戦の前で

鹿児島県、知覧:

特攻隊の基地があった場所を訪れ、博物館、戦没者と同じ数の灯籠、戦闘機を見て、感銘を受けたようだ。彼女の父親がもしブラジルに移住していなければ、年齢的に戦没者になっていた可能性が高いことに思いを巡らせ、考え深げだった。

原爆ドームの悲惨さに唖然とする

原爆ドームの悲惨さに唖然とする

広島:

原爆ドームのある平和公園を訪れ、(話に聞いていた)第二次世界大戦の悲惨さを、実感したようだ。

農村の風景:

バスで九州巡りをしたが、大都会とは余りにもかけ離れた、のどかな農村の風景に、同じ国とは思えない、と言って見入っていた。農家の裏庭に建っている墓石を見て(土葬が主流の)「ブラジルでは考えられない!」、と驚いていた。

日本人の閉鎖性:

バス・ツアーでは、4泊5日の間、20組の夫婦と行動を共にしたが、会話はそれぞれの夫婦間のみに限られ、他の夫婦とはほとんどしゃべることがないことを奇異に感じていた。というのも、もしブラジルなら、二日目には20組とも旧知の友人たちのように、お互いに会話が行き交い、話題が弾むのが普通だからだ。

駆け足で、日本の3分の2を見て回った旅の合間に、耳にした彼女のコメントを拾って列記した。彼女の訪日を今まで躊躇させていた、日本人の冷たさに出会うこともなく、帰路には父母の祖国を訪問できた満足感に浸っている彼女を見て、私も安堵した。(完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: その他、色々 パーマリンク

コメントを残す