(79)栄光と屈辱の一週間

シニア・チャンピオンのトロフィーを手に感無量..

「シニア・ゴルフツアーにエントリーしてから7年、やっと念願のタイトルを手にすることができました。我慢して続けてきた甲斐がありました。今の心境は、とても誇らしく、ハッピーで、すごく感動しています。人生には、感動は不可欠です。感動のない人生は、味気なく、侘しいものです。その意味で、ゴルフは私の人生において会得した、最もすばらしいことの一つと言えます。何故なら、年と共に、ともすれば少なくなりがちな感動を、ゴルフだけは、今も変わらずに、もたらしてくれるからです。例えば小さな感動なら、10メートル以上あるパットのカップイン、エッジからのチップイン、ライバルから受け取るベット、シニア・ツアーにおける入賞トロフィーのゲットなどがあり、もっと大きな感動なら、ホール・イン・ワン、エイジ・シューターや、今日の私のように、年間チャンピオンの達成など、ゴルフでは常に大小様々な感動を味わうことができます。来年もまた、皆さんと一緒に新たな感動を求めて、シニア・ツアーに参戦したいと思っています。どうもありがとうございました。」

2011年度、ブラジル・シニア・ツアー(アマ)の年間チャンピオンを達成した私の、表彰式における、ポルトガル語によるスピーチの和訳である(http://2palit.us/t7UEFD)

サンパウロから約2千キロ、ブラジルの東北部にあるバイア州(参照http://2palit.us/veZ8Bn)の州都サルバドールから車で約一時間の海浜地帯にある、イベロスター・リゾートホテルに、ブラジル全土から120名のシニア・ゴルファーが夫人同伴で集結し、12月1日から4日間に亘って開催された、年間表彰式を兼ねた忘年会に臨んだ。

イベロスター・グループは、世界中で事業を展開しているスペイン系資本のホテル・チェーンで、ブラジルにも3ヶ所にリゾート・ホテルを設けているが、今回、ブラジル・シニアゴルフ協会が開催したイベントは、その内の一つ、サルバドールのプライア・フォルテ区にあるリゾート・ホテル(http://2palit.us/w43LUNで、広大な敷地に、宿泊客を飽きさせないように、ゴルフ場を含む、ありとあらゆる娯楽施設が完備されている。

忘年ゴルフの舞台になったゴルフ場は、イギリス・スタイルのリンクス・コースで、海から吹き寄せる強風と、フェアーウエイに沿って横たわる海浜特有の草叢(くさむら)に、余興のゴルフとはいえ、プレヤーたちは、揃って四苦八苦の態であった。

そして3日目の夜、待望の表彰式となり、トロフィー授与に続いて、私が前出のスピーチをする運びとなった。ブラジル・シニア・ツァー(アマ)の歴史で、年間チャンピオンになった日本人(日系人を含む)は、私が初めてで、表彰式で味わった感動は、40年のゴルフ人生でも最高のものであったが、実はこのタイトル達成には、多分にラッキーな面があった。

過去のチャンピオンは6年連続で、私と同じグアルジャー・ゴルフクラブに所属する、アメリカ人のロナルド・ガンが獲得しており、今年の本命も彼であることを疑う人はいなかった。

重症のソケット病にかかったロナルド・ガン

カーニバルが終わって、待望のゴルフ・シーズンの到来となった3月初旬、ロナルドは今年新調したテイラー・メイド社製のゴルフ・セットを携え、颯爽とゴルフ場に現われた。その時点では、それから30分後に、彼を一年間に亘って奈落のどん底に引きずり込むドラマが幕を開けることになろうとは、誰も夢想だにしていなかった。

それは2番ホールの132ヤード、池越しのパー3で突然起こった。ロナルドが、いつものように軽やかなフットワークから、8番アイアンで放ったボールの行方に、パートナーたちは我が目を疑った。それはこともあろうに、45度の角度で右に大きくソケットし、水しぶきをあげたのだ。

最も驚いたのは、ロナルド自身だった。その証拠に、直後に彼が放った言葉は、「信じられない!」だった。

彼曰く、50年のゴルフ人生で、ソケットしたのは初めてだとのことで、逆にそのせいでショックがより大きかったのかも知れない。

それからロナルドの悪夢のような一年が始まった。ここ一番という時に、突然出るソケットに悩まされ、気にすると左に引っ掛けるという悪循環がとめどなく続き、ツアー常勝を誇っていた彼は、結局、修正の糸口を見出せないまま、2011年度のシニア・ツアーは、16戦で、わずか1勝に終わってしまった。一つのソケットが、ほぼ完成されていた彼のスイングを、完全に狂わせてしまったのだ。

2011年度にシニア・ツアーで獲得したトロフィー

一方の私は、リベイロン・プレート・オープン(参照http://2palit.us/tZXXuC)と、PL・オープン(参照http://2palit.us/tqjzrg)の2度の優勝と、2位が3回を含む、ベスト10入賞7回のポイントが加算されて、思いがけなく、年間チャンピオンのトロフィーを手にすることが出来たという訳である。去年までシャカリキになって獲得を目指していたタイトルであったが、今年は練習量もほどほどに、気楽にツアーに臨んでいたので、何だか向こうから福が転がり込んできたような感じで、金儲けに目の色を変えている内は、儲からないものだという、人生の教訓のようなものを感じた。

さて、こうして栄光の週末をバイヤ州で過ごした私は、心も晴れやかに、ホーム・コースのあるグアルジャー島に戻り、3日後に予定されている今年最後の大勝負となる、クラブ・チャンピオン決勝戦のマッチプレーに備えて、つかの間の休養で、英気を養った。

150センチ45キロ、小柄な14才のカイオ・ナシメント君(HC7)

このクラブ・チャンピオンの決勝戦は、実は曰くつきで、対戦相手は何と私より55才年下の、カイオ・ナシメント(HC:7)という、身長150センチ、体重45キロの小柄な14才の少年である。彼は、クラブに所属するレッスン・プロの息子で、3才からクラブを握り始め、父親の指導宜しくメキメキと腕を上げ、今年、サンパウロ州のジュニアー・チャンピオンに輝いている。カイオは、クラブの会員ではないが、彼の将来を嘱望したクラブが、支援する意味で、特待生の形で月例コンペへの参加を容認していた。クラチャンは、規定で月例コンペの年間ポイントを集計し、上位8名がマッチプレーで争うことになっているが、本来クラブ・チャンピオンというのは、会員間で争われるべきタイトルなので、会員でないカイオが8名のファイナリストに名を連ねたことで、一部の会員たちから彼の参加資格を疑問視する意見が出て、クラブ内は賛否両論でもめていた。そんな中で、私は準々決勝、準決勝と勝ち抜いて、もうひと月も前から、決勝の対戦相手が決まるのを待っていた。

すったもんだの末、結局クラブはカイオの参加資格を、今年に限って認めることにした。その結果、カイオの準々決勝、準決勝の対戦相手たちは、抗議の意味か、または戦っても勝ち目がないと思ったのか、揃って不戦敗を宣言したために、決勝戦の私の対戦相手は、カイオということになった。

実は、私もカイオの資格について疑問視していた一人なので、心境は複雑で、孫のような子供に負けるのもシャクだし、(これまで何度もクラチャンになっていることもあり)、いっそ戦わずに彼にチャンピオンを献上してもよいという気持ちと、ジュニア・チャンピオンとぜひ戦ってみたいという気持ちが、私の中でせめぎあっていた。

そんな状況の中で、私の年間シニア・チャンピオン獲得が決定し、気を良くした私は、ついでにもう一つタイトルを取ろうという欲がムックリと頭をもたげ、カイオとの決勝戦に臨むことにした。

その日は快晴で気温は28度、海からの微風がグリーン上の旗を静かにたなびかせていた。

マッチプレーは一進一退の緊迫したゲーム展開となり、16番ホールを終えた時点で、私の1ダウンとなっていた。17番は135ヤードのパー3。幅20ヤード、奥行き15ヤード、名物ホールの、四方を水に囲まれた浮き島だ。オナーは私。

ティー・グラウンドから見た17番ホールの浮き島

このホールは、常に海からまともにアゲインストの風が吹いている。風が強ければ7番アイアン、弱ければ8番だ。その日も斜め前から、それ程強くない風が吹いていた。私は迷った末、7番を手にした。ボールは奥行きのないグリーンをオーバーして浮き島からこぼれ落ち、かろうじて水際の芝生にぶらさがるようにして止まった。それを見たカイオが、グリップを少し短めに持ち替えるのがチラッと目に入った。カイオのボールはグリーンを少しオーバーしたが、ピンまで7ヤードのラフに留まった。

私は水しぶきと共にボールを掻き出したが、グリーン奥のラフまで運ぶのがやっとだった。カイオはラフから難なくピンに寄せてパーとし、万事休した。2&1による屈辱の敗北だ。ジュニア  vs. シニア、両チャンピオンによる渾身のバトルの幕切れであった。

それにつけても、カイオはどんな場面でも常に冷静で、とても14才とは思えぬ成熟したゴルフをしたことは、私にとって大きな驚きだった。技術面もさることながら、精神面のクールさは、彼のゴルファーとしての明るい将来が、充分に感じられるものだった。

2011年12月の第一週は、栄光と屈辱を同時に味わった、生涯忘れがたい1週間となった。

これで今年のゲームは全て終わり、ホッとすると同時に、当分の間はゴルフクラブを一切手にしたくない心境で、海浜で寝そべって読書などして、静かに年末の日々を過ごそうと思っている。(完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
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(79)栄光と屈辱の一週間 への2件のフィードバック

  1. achibe より:

    mshojiさんがここまで成れたのも、ゴルフがあっての人生だったからでしょう。
    どんなに嫌なことがあっても、ゴルフが全てを洗い流してくれたおかげで
    楽しく生きて来られたのだと思います。また楽しい話題をお願いいたします。

  2. mshoji より:

    そう言われてみれば、確かにそうだと思います。ゴルフはどんなにヘコんだ時でも、カンフル剤のような役割をはたしてくれたと思います。

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