(103) ブラジルの人種差別について

北米では、ことある度に白人と黒人の人種差別が取りざたされ、問題提起が繰り返されている。同じ多民族国家である、南米のブラジルにおける人種差別問題は、どうなのであろうか?史実に加え、この地に苔が生えるほど永く住みついている者としての私見を交えて、レポートしてみる。

結論から言うと、北米人とブラジル人との人種差別意識の違いは、極めて顕著であるといえる。その根本的な原因は、両国の建国ベースとなった初期移民が、一方はアングロサクソン、他方はポルトガル人であった所にあり、後世に顕著な違いを及ぼしていったと推察される。

ポルトガルからブラジルへの移民は、14~16世紀に10万人、17世紀に入って60万人が記録されており、そのほとんどがポルトガル北部の貧農階級に属する独身男性たちであった。彼らが到着した新天地には、既に先客がいた。原住民のインジオたちである。ポルトガル人たちは、ほぼ無抵抗のインジオたちを奴隷化して労働力とし、当時ヨーッロパで珍重されていたパオ・ブラジルという木材を原始林から搬出する作業に活用した。インジオの活用は、労働力のみにとどまらず、インジア(女性)は、独身男性のみだった移民たちのセックスの対象となった。情況的に、移民たちがインジアをセックスの対象にしたことは理解できるが、インジアには「来るものを拒まず」の文化があったことと、元来ポルトガル人はスケ兵衛な民族であったことも、一つのファクターとして見落とすことはできない。

さて、元々が狩猟民族であったインジオたちは怠け者が多く、労働力の活用には不向きであったことから、17世紀なって、移民たちの活動の場が、単純な原始林の伐採から、サトウキビ栽培など多大な労働力を必要とする農業に推移していったことにともない、アフリカから黒人奴隷が大量に導入されるようになった。同時期にブラジルに導入された黒人の数は、150万人を超えたとされている。17世紀ごろまでにポルトガルから来た移民総数が70~80万人だとすると、当時ブラジルの人口は、黒人が2/3を占めていたことになる。その後も黒人奴隷の導入はますます活発になり、19世紀までに導入された男女の黒人奴隷の総数は、実に480万人に及んだとされている。

インジオたちと比較して、労働力としてはより優れていた黒人奴隷たちを活用して、サトウキビ、コーヒーなどの農業に加え、金銀銅など鉱産物の発掘で顕著な発展を遂げていった移民社会は、その一方でセックス面でもその好色ぶりを大いに発展させ、その対象をインジアから黒人女性に拡張していった。すなわち、後世のベースとなるその時期のブラジルは、男女関係に関しては、情況的にも情緒的にも、人種差別は存在しなかったといえる。その結果、後のブラジルの大きな特徴の一つとなっている、”混血児”が大量に誕生することになる。

19世紀になって、ブラジル人口の黒人化に憂慮したポルトガル政府は、ブラジルにポルトガル人女性を送り込むために、急遽国を挙げて移民希望者を募った。その条件は、出生、社会的環境、容姿、職業を問わず、子供を産める健康体であればOKというもので、質より量のコンセプトで適正と判断されてブラジルに送られた女性たちの中には、生活困窮者や娼婦たちが多く含まれていたという。

その後、1888年の奴隷解放にともなって、労働力の代替えとなる移民を受け入れる必要性にせまられたブラジルは、一石二鳥で人口の白人化をも一気に推進すべく、自国のみならず、ヨーロッパ全域から白人移民の導入を積極的に推進した。(当時、黄色人種は受け入れ対象外であったが、ブラジル移住に最も積極的であったイタリア人たちが、奴隷にも等しい過酷な労働条件を自国政府に告発し、イタリア政府がブラジル移住を禁止したために、急遽東洋人にお鉢が回ってきて、日本からの移民が受け入れられるようになった。)

このようにして、人種のルツボといわれる人口2億人を有する、今日のブラジル人のベースが形成されていった訳である。現在の人種別内訳を見ると、白人47.5%、パルド(褐色)43.4%、黒人7,5%、黄色人種,1,1%、インジオ0,4% となっている。

これをみると、人口の半分は白人が占めているように感じられるが、問題はその仕分け手法にある。その手法とは、自己申告によるもので、DNA検査などの第三者による科学的な仕分け法ではない。一見肌が白っぽい人は“白人”と申告する。パルド(褐色)は白人と黒人の混血で、肌色のバリエーションが、薄茶色からこげ茶色までの人たちが、パルド(褐色)と自己申告する。黒人とは、北米に多く見られる肌がほぼ真っ黒の人たちということになる。

それでは何が問題なのか。それは”白人“にある。ブラジルの肌が白い人たちには黒人の血が混ざっている可能性が極めて高いのだ。それは前述の歴史経過を鑑みると、容易に理解できる。昔、何かの小説で、北米の白人女性が、自分の血に何代か前に黒人の血が混ざっていたことを知り、悲嘆の余り自殺するというくだりを読んだことがあるが、ブラジル人で、そんなことで悲しんだり、ましてや、自殺をする人などは皆無である。それは、ブラジル人の元祖であるポルトガル人は、混血に関しては全く無頓着であったことに因している。彼らはインジオに始まり、黒人、さらに世界中からやってきた移民たちと、人種に全くこだわることなく交わり、混血児を生み出してきたのである。それがブラジルの史実であり、文化であるともいえる。そんなブラジル人たちが、黒人を差別視する根拠などある訳がない。それは、自らの食器皿に唾するようなものであるからだ。そんな国に世界からやってきた移民たちは、いつの間にかその文化に感化され、ユダヤ人や日本人など、元来混血を良しとしなかった人種までが、次第に他の人種との混血に対する抵抗力を失っていく。

ブラジルを訪問した日本人が、白人を見ると、「どこ系の方ですか?」とよく質問する。それに対する回答は十中八九、「解りません」である。あえて正解があるとすれば「イタリア20%、ポルトガル25%、ドイツ15%、黒人が5%、あとは不明」ということにでもなるのであろうが、取り敢えず「解りません」の回答となるので、問った日本人の方は、不可解な顔をする。

ブラジル人は、黒人(または褐色)に対して、「ネギーニョ(黒チャン)」もしくは「バイヤーノ(バイヤっ子)」と呼んだりする。それには差別的な意味合いはなく、単に身体的特徴を表現した愛称的な意味でそう呼ぶ場合がほとんどだ。日本人を「ジャポネース」、金髪の男性を総じて「アレモン(ドイツ人)」と呼ぶのも同じことだ。私も、当初は「ジャポネース」と呼ばれると、差別されているように感じてカチンと来たものだが、そのうち全く気にならなくなった。それどころか、ジャポーネスがこの国で、最も愛されている人種の一つであることを肌で感じるようになっていった。ブラジルは、間違いなく、日本人(もしくは日系人)が、世界中で最もデカイ顔をして生きている国である。事実、日系人はブラジル社会ではモテる存在である。勤勉な日系人男性と結婚すると、将来の安定が得られるとして、日系人を狙い撃ちする白人女性が少なくないという。また、結婚すると旦那を尻の下にひきたがるブラジル人女性より、控え目な日系人女性を好むブラジル人男性が結構多いそうだ。その結果、最初の移民到着から一世紀を経た、今日の日系人社会では、既に6世が誕生しているが、その混血比率はというと、2世がわずか6%であったものが、3世になると42%、4世では60%と、右肩上がりに急増している。このペースでいくと、次世紀には純血の日系人は多分居なくなるであろうと思われる。

ブラジルでは、法律で、明確に人種差別が禁止されており、その行為または言動が告発されると罰金または禁錮刑に処される。すなわち「建て前」的には、人種差別は存在しないが、ブラジルに長く住んでいると、時たま黒人(または褐色)に対する「差別のようなモノ」を感じることがある。

しかしそれは、白人が黒人を差別するのではなく、黒人(または褐色)の人たちが、自らを差別しているように感じられるのである。一例をあげると、定職につかず、長年に亘って不安定なゴルフのキャディーをしている褐色青年に、「何故、キャディーの仕事に甘んじているのか?」と聞いたことがある。答えは「黒人で、貧乏な自分に定職のチャンスは少ないから。」であった。キャディーの彼は、結構気が利いていて賢くみえる青年であるが、黒人にはチャンスがないと自らを差別し、向上心を放棄しているように感じられた。その一方で、向上心のある黒人(または褐色)は、あらゆる分野に台頭して活躍している人たちも多い。結論からいうと、黒人(または褐色)の人たちは、白人に比べて向上心の希薄な人たちの割合がずっと多いと思われる。では、その違いは何処に原因があるのだろうか?

19世紀末期に奴隷が解放され、白人移民が大量に導入された。概して移民というのは、裸一貫から何かを掴み取ろうとする向上心の塊のような人たちである。彼らは、先住のブラジル人たちと密接な関係を保ちながら、ブラジル社会に同化して一歩一歩その立場を向上させていく。問題は、彼らが現地で関係を保ったのは、先住の白人たちであって、奴隷から解放されたばかりの黒人たちでは無かった所にある。奴隷生活の、筆舌に尽くしがたい辛苦から解放された黒人たちにとって、自由を得た後の生活は決して生易しいものではなかったと思われるが、奴隷生活のそれと比べると、解放後の貧苦など、彼らにとって如何ほどのものであったろうか。奴隷解放によって、黒人たちは生半可な向上心で得られるものより、はるかに大きな「自由」という宝物を手に入れた訳で、その満足感と歓喜度は、死んでもいいほど大きなものだったことは、想像に難くない。一方で、白人の新移民たちが、ゼロからのスタートで、向上心に胸を膨らませて前進しようとしている時、同じようにゼロから再スタートした黒人たちは、既に大きな満足感と達成感にひたっていたのである。このスタート時点における白人と黒人の意識の違いが、今日まで後を引いていると思われてならない。

ブラジルには「ファヴェーラ」と呼ばれる、スラム街が国全土に存在する。その形体は、奴隷から解放された後に、黒人たちが寄り集まって作ったコミュニティーが原型であるといわれている。住民の大部分は黒人(または褐色)で、所有者が不明な土地にバラック建ての家屋をビッシリと築いて小さな村を完成させ、電気は街路の電柱から勝手に引き込んで使用している。そんな村が次第に大きく膨れ上がり、リオ・デ・ジャネイロには、人口が30万人を超える巨大な「ファヴェーラ」まで存在する。住民たちの結束は固く、互いに助け合いながら、住み心地の良いコミュニティーを形成しているという。

日本に「乞食を3日やったらやめられない」という言葉があるが、一たびファヴェーラに住みつくと、3日どころか一生をファヴェーラで過ごす人たちがほとんどであるという。ファヴェーラには外見からでは想像できない居心地の良さがあるのかも知れない。ブラジルのファヴェーラ住民は、全人口の25~30%であるといわれているが、彼らがその生活に満足しているとしたら、ファヴェーラは永久に無くならないであろう。黒人(または褐色)たちに、向上心が希薄な理由は、その辺りにあるように思われる。

話がかわるが、前出で、ポルトガル人のスケ兵衛心が、ブラジル人のベース造りに影響を与えたと記したが、現在のブラジル人たちの好色度はどうであろうか?数年前に、大手のコンドーム・メーカーがスポンサーになって行った世界規模の実態調査によると、最もセックス回数が多い国民はギリシャ人で年間165回、2位がブラジル人で145回/年となっている。これを見ると、ブラジル人たちは、先駆者たちがもたらした文化(?)をそのまま踏襲していることが窺える。ちなみに、最も少なかったのが日本人で、48回/年であった。

また、正規な実態調査ではないが、夜の事情に詳しいあるナイトクラブのママから聞いた話では、黒人女性を好むのは、主にポルトガル系、オランダ系、ドイツ系の男性たちで、アングロサクソン系とスペイン系の男性は敬遠するそうだ。日本人は、金髪好みが多いが、黒人女性に関しては、多分食わず嫌いなのだろう、とのことであった。(完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
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(103) ブラジルの人種差別について への1件のフィードバック

  1. 吉田利明 より:

    久しぶりにmshojiさんのエッセイが読めて嬉しいです。
    ところで、過去にお書きになられたエッセイで欠落している章が有りますが、再度掲載していただけないでしょうか。

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