(102)映画「戦争にかける橋」の実話

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映画の中の「戦場にかける橋」

今年(2018)1月19日から一週間の日程で、私は娘のマリーナと、商用でタイ国のバンコックを訪れた。時間に余裕があったので、現地ツアーに参加することにした。ホテルのカウンターにあったツアー案内を見ると、何と「クワイ川訪問ツアー」というのがあるではないか。「もしや…」と思って係りの女性に訊いてみると、紛れもなく、その昔、ブラジルに移住する前に日本で観た映画「戦場にかける橋」の舞台になった、あのクワイ川を訪問するツアーだ。途端にあの感動的なシーンの数々と、軽快な「クワイ川マーチ」のメロディーが、鮮やかに脳裏に蘇った。私は一も二もなく、ツアー参加を申し込んだ。

 

 

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川幅300メートルの、とうとうと流れるクワイ川

ツアー当日は期待で胸が躍った。朝7時に出迎えのヴァンでホテルを出発し、午前中に水上マーケットを見学した後、勇躍クワイ川へと向かった。西に向かって走ること約2時間、ヴァンはクワイ川の畔にあるレストランに横付けされ、バルコニーのテーブルから川を見下ろしながらの昼食となった。眼下のクワイ川は、川幅が約300メートル位であろうか、水をとうとうとたたえてゆったりと流れている。200メートルほど下流に目をやると橋が一つ見える。ガイドさんによると「実物の橋」とのことであるが、イメージしていた木製の橋ではなく鉄橋のようだ。

 

 

昼食を終え、期待に胸をふくらませながら、徒歩で橋へと向かった。1943年に架けられた「戦場の橋」は、確かにそこに存在していた。しかし、橋のたもとに備え付けられた小さな台座の上に張り付けられた一枚の銅板を見た時、私の胸にあった期待は、急激に萎んでいった。

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橋のたもとにある台座の上に張りつけられた銅板

そこには、1942年から1943年にかけて、旧日本軍による、タイのノンブラードウィックからビルマのタムビザヤ間、約415kmの鉄道建設に駆り出された捕虜と労働者の数と、その死者の数が刻み込まれていたのである。アジア人労働者200.000/死者80.000、イギリス人捕虜30.000/死者6.540、オランダ人捕虜18.000/死者2.830、オーストラリア人捕虜13.000/死者2.710、北米人捕虜700/死者356、日本人・韓国人15.000/死者1.000と記されていた。インターネットで歴史の供述をひもとくと、鉄道建設中に、約1万6千人の連合軍捕虜が、飢餓、疾病と虐待のために死亡したとされており、現地で駆り出されたアジア人労働者の死亡数はその5倍にも及んだと記されている。

 

映画「戦場にかける橋」では、旧日本軍の捕虜となったイギリス軍兵士たちが、名誉と誇りのために日本軍に替わって橋を建設し、その開通式当日に、同橋を自らの手で爆破したことになっているが、その内容は英米合作映画の完全な脚色であり、事実とは大きくかけはなれていることが、実際にクワイ川に足を運んだ誰しもが、認識させられる。

 

この鉄道は、1942年の旧日本軍によるビルマ占領を契機として着工されたもので、ビルマ側、タイ側の双方から建設が進められた。全工程で最も難工事とされていたのが、クワイ川に架ける永久橋の建設とその前後のルートであった。設計・建設の主体となったのは、旧日本軍の優秀な橋梁建設専門部隊であったが、クワイ川は急流のため、工事は難航を極めたため、永久橋完成までの間に使う資材運搬用の橋梁として、永久橋の下流に木製の橋が架けられることになった。木橋は1942年12月に完成し、次いで永久橋の鉄橋も1943年5月には完成した。

映画「戦場にかける橋」のモデルになったのは、この木製の橋の方であると思われるが、歴史の供述には、イギリス軍捕虜たちによって橋が建設されたことや、同橋が開通式の日に爆破されたという事実は存在しない。

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実在の「戦争に架ける橋」中央部の角型橋梁が修復された部分

一方の永久橋は、1945年に連合軍の空爆により中央部が破壊されたが、鉄橋が不通の間、替わって木製橋が輸送の役目を果たしたとされている。永久橋の鉄橋は、戦後賠償の一環として、日本の横河橋梁によって修復されたが、修復部分は旧来の丸型橋梁ではなく、角型橋梁になっており、現在もその姿をクワイ川にとどめている。一方、木製の橋は1946年の大雨による増水で、姿を消している。

 

 

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鉄道犠牲者博物館

クワイ川を訪れた日本人たちが、さらにダメージを受けるのは、「鉄道犠牲者博物館」の存在と、その前方に広がる犠牲者たちの墓地である。撮影禁止になっている博物館の内部には、旧日本軍が鉄道建設にあたって、捕虜と労働者に対して行った過激な虐待行為が、パネル、写真、ビデオなどで、生々しく展示されており、見学者たちの驚愕と義憤を誘う。とりわけ「死者の数は、鉄道の枕木一本当り500名に及んだ」と記されたプレートの存在は、事実の凄惨さを如実に物語っている。さらに2階に上がると、窓からのぞめる芝生を敷きつめた広大な墓地と、おびただしい数の死者の墓標プレートが、見学者たちの心痛にさらに追い打ちをかける。

 

 

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広大な犠牲者の墓地に佇むマリーナ

私は、クワイ川ツアーに娘を伴って参加したことを、少なからず後悔している。というのは、わがJBC社は、「日本文化をブラジルに伝える」ことをコンセプトにした出版社で、娘のマリーナは、日本、日本人、日本文化が大好きで、私の後継者として誇りをもって仕事に取り組んでくれている。戦争を知らないブラジル生まれの彼女にとって、今回の体験は、知られざる日本人の一面を垣間見た訳で、かなりショックだったようだ。彼女は口では「戦争だから…」とコメントしていたものの、帰路のヴァンでは終始無言だった。

 

夕食の時に、私は「日本は大きな代償を、30万人の原爆犠牲者で支払ったのだよ」と言ってはみたものの、それがどこまで彼女の慰めになったものやら…。

 

帰路の機内で、改めてYOU TUBEから映画「戦場にかける橋」を観た。事実を知った後では、昔の感動がウソの様に空しく感じられ、あの軽快な「クワイ川マーチ」もただうつろに耳を素通りするだけだった。映画には、旧日本軍の捕虜虐待シーンなどは、描かれていなかったことが、せめてものなぐさめである。ちなみに、現地ガイドによると、映画はタイのクワイ川ではなく、スリランカにある河川で撮影された、とのことである。(完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
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