(99)南の地の果て:パタゴニア

地の果て、パタゴニア

地の果て、パタゴニア

パタゴニアは、南緯40度付近を、アンデス山脈から大西洋に向かって流れるコロラド河から南の地域の総称である。1520年に、同地に上陸したフェルナンド・マガリャンエス(マゼラン)によって名付けられたという。

過去に、私が経営していた旅行社では、アルゼンチン・ツアーが主力商品だった。「南米のパリ」ブエノスアイレスのタンゴ・ツアーと「南米のスイス」バリローチェのスキー・ツアーなどに人気が集中していたので、他のツアーまで手が回らなかったが、それでも「南の地の果て」パタゴニア・ツアーは、一度だけ企画して実施した。ツアーに添乗員として同行したのは、同僚のT君だったが、実は、そのツアーで劇的なハプニングがあった。地球の最南端にある町、フエゴ島のウシュアイアから、船でビーグル海峡を周遊するツアーで、周辺の雪を頂くアンデスの山々の、余りにも美しい景観に見とれていた一人の観光客が、足を滑らせてデッキから海に転落したのだ。季節は春だったが、南極が目と鼻の先にあるビーグル海峡の水温は零度に近い。必死でもがく観光客を見て、その場に居合わせたT君が間髪を入れずに海に飛び込み、見事にその客を救済したのだ。T君は、島根県浜田市出身で、幼いころから荒波の日本海を、プールのようにして育ったというが、その経験が思わぬ所で発揮されたという訳だ。その記憶がいつも頭にあったので、いつか一度「地の果て」を訪れて、ビーグル海峡を見てみたいと思っていた。

極寒のパタゴニア旅行は、やはり夏がいいだろうということで、連日うだるような暑さが続くブラジルから脱出して、家内と共に「地の果て」に向かった。

サンパウロ空港から3時間足らずのフライトでブエノスアイレスに到着する。そこから国内線に乗り換え、さらに3時間飛ぶと、下降体勢に入った機の窓から、なだらかな起伏をともなって、延々と広がる砂漠地帯が見える。さらに着陸体勢に入ったところで、真っ青な水を湛えた巨大な湖が目に飛び込んできた。パタゴニア最大の湖、アルゼンチン湖だ。機は間もなく、そのほとりにあるカラファッテ空港に着陸した。

機から出ると、さすがに空気がヒンヤリしている。カラファッテは、メインストリートが一本走っているだけの小さな街で、特に目立った産業は無く、年間を通じて訪れる観光客で支えられているようだ。

ぺリト・モレノの氷河。高さは60mに及ぶ

ぺリト・モレノの氷河。高さは60mに及ぶ

翌日はぺリト・モレノの氷河観光だ。ロス・グラシアレス国立公園内にある氷河は、南極、グリーンランドに次ぐ世界第三の規模で、世界遺産に登録されている。車で2時間程走るとアルゼンチン湖のほとりにある小さな港に着く。そこから船に乗り換えて氷河に大接近を試みるのだ。静かな湖面の前方に、青白い帯状の物体が横たわっているのが見える。近づくにしたがって、それはどんどん膨れ上がり、遂に高さ60m、幅5kmに及ぶ巨大な氷の壁となって、眼前に迫ってきた。正に圧巻である。

ガイドの説明によると、アンデス山脈の谷間になっているこの地域は、特異な気象現象によって年間を通じて製氷機の営みがなされており、さらに積雪が重なって湖に向かって大量の氷が押し出されてくるのだという。水上に出ている部分は60mだが、水面下には、更に120mの氷が沈んでいるとのことだ。

氷はいわば、雪解け水を再び凍らせたように純粋なので、透き通った水色をしている。呑兵衛の私は、この氷でウイスキーをオンザロックにして飲めば、さぞかし旨かろうと思った途端に、思わず喉がゴクリと鳴った。

午後は、氷河ロス・グラシアレスを山側から見下ろす場所に向かった。船で湖面から見上げたグラシアレスも見事だったが、上からの眺めも、表面がギザギザの氷河が、山間を遥か彼方まで延々と続いているのが見え、その規模の大きさがよく解って、すばらしい景観だ。圧巻は、時々ドーンッという轟音と共に、巨大な氷の塊が崩れ落ちる瞬間で、観光客たちはその度にウオーッと歓声をあげる。

ウプスラ氷河

ウプスラ氷河

翌日は、氷河の面積としてはペリト・モレノより大きいという、ウプサラ氷河に向かった。高速艇で、2時間ほどアルゼンチン湖をアンデス山脈に向かって航行すると、ウプサラ氷河に着く。近づくにしたがって、湖面にプカプカ浮かぶ青白い大小の氷の塊の数がどんどん増えてゆき、船はその間を縫うようにして、グラシアレスに接近していった。こちらは、ペリト・モレノのような巨大な壁状の氷ではなく、山間から膨大な量の氷が、ドバッと湖に溢れ出ている感じの氷河だ。午後は、4輪駆動の車で山間の細道を縫って登り、ウプサラ氷河を上から眺めるポイントに向かった。山頂の気温は低く、吹きつける冷たい風に襟元をすぼめながら、チリーとの国境を越えて、遥か彼方まで続くグラシアレスの風景を眺めた。ガイドの説明によると、地球の温暖化で氷河の面積は年々減少しているとのことだ。帰路で、車窓から大量の大木が横倒しになっているのが目に入った。ガイドに訊いてみると、この辺りの土地は年間を通じて吹く強風のために、土が吹き飛ばされるので木の根が浅く、木が一定の大きさに成長すると、風に倒されてしまうのだ、とのことだった。

地球最南端にある街、ウシュアイア

地球最南端にある街、ウシュアイア

翌朝、カラファッテ空港から、旅の終着点となる地球最南端の町、ウシュアイアに向かった。1時間半のフライトで、機は、ビーグル海峡にせり出したように横たわる滑走路に舞い降りた。ウシュアイア空港に到着だ。遂に「地の果て」までやってきた。

夏だというのに、厚着していても肌寒い。先ずはホテルに向かった。ウシュアイアの街はビーグル海峡から、アンデス山脈に向かってかなり急傾斜でせり上がっており、街全体が斜面に広がっている。ホテルは丁度、港が眼下に一望できる場所にあり、停泊しているフランス国籍の豪華客船が見える。丁度昼飯時だったので、ホテルで海鮮料理のレストランを教えてもらって出かけた。ウシュアイアの街は、ビーグル海峡に沿って横長に広がっており、海岸通りから二番目の大通りがメイン・ストリートのサン・マルチン通りで、レストランはその中ほどにあった。看板には「CANTINA FUEGUINA de Freddy(フレディーのフエゴ料理店)」とある。

生簀でうごめくタラバガニ

生簀でうごめくタラバガニ

店のショーウインドーがそのまま生簀になっていて、大きなカニがギッシリ詰まっていてうごめいている。タラバガニのようだ。カニに目が無い家内と私は、ウシュアイアでカニに出会うとは想定外だったので、嬉々としてそのレストランの扉を押した。中は、15~16卓しかない小さな店で、出されたメニューには、煮たり、焼いたり、蒸したりのカニ料理がズラリと並んでいる。中に、1キロ:350ペソ(35米ドル)と書いた料理があったのでウエイターに訊いてみると、生簀から気に入ったカニをピックアップして、丸ごと茹でる料理だという。タラバガニ一匹丸ごととは何とも豪勢だが、それに決めた。ピンピン生きたカニを秤にかけると2キロあったが、それでも小さ目だという。

2キロのタラバガニ (食前)

2キロのタラバガニ
(食前)

食後のタラバガニ

食後のタラバガニ

待つこと20分、真っ赤に茹で上がったタラバガニがトレイに乗せられて運ばれてきた。大型のハサミが手渡される。ハサミを縦に入れてチョキチョキと固い皮を切ると、プリプリした長い肉がスポッと抜ける。あとは、マヨネーズ・ソースをつけて食べるだけだ(ポン酢だともっとウマいかも...)。最初の足を口に入れると、甘みがあってサッパリしたカニの味が口いっぱいに広がった。私も家内も、黙々と足を外し、皮を切り、身を取り出しては口に運んだ。足を平らげて、次に甲羅をひっくり返すと、そこにも肩肉がビッシリと詰まっている。ところがフォークだとどうしても身が残ってしまう。箸があれば残さず取り出すことができるのに..などと、セコイことを考えながら、ひたすらカニに没頭した。残った残骸が1キロあるとしても、二人で1キロのカニ肉を胃に送り込んだことになる。カニだけで満腹とは、何とも贅沢な昼食だ。

吾々は、ウシュアイア滞在中の三日間、昼夜合計6回、その店に通った。お蔭で、メニューにあったカニ料理はほとんど食べ尽してしまった。レストランのスタッフともすっかり顔なじみになり、最後の日などシェフがわざわざテーブルまで、注文した料理を運んできて、挨拶してくれた。

帰る日になって、先週実施した年一回のチェックアップで、中性脂肪が高くなっており、医者から渡された禁止食材リストに、カニが含まれていたことを思い出したが、もう後の祭りだ。

波静かなビーグル海峡

波静かなビーグル海峡

二日目は、ビーグル海峡の周遊と、ペンギンの生息地訪問ツアーだ。ビーグル海峡は、大西洋と太平洋を結ぶ、全長240キロの狭い水道で、1831年から1836年にかけて、チャールス・ダ-ウインが行った世界一周航海で通った経路で、船名の「ビーグル号」にちなんで命名された。実は、私はマゼラン海峡とビーグル海峡を混同していた。1520年にフェルナンド・マガリャンエスが発見したマゼラン海峡は、ビーグル海峡よりさらに北にあって、大陸とフエゴ諸島を隔てる、全長500キロの海峡で、一方のビーグル海峡はフエゴ諸島の間を縫って大西洋から太平洋に繋がっている全く別の海峡であることを、今回の旅行で初めて知った。

地球最南端の灯台 があるホーン岬

地球最南端の灯台
があるホーン岬

ビーグル海峡を周遊する船は、200名は乗れるであろう純白のスマートな観光船で、船のデッキには高さ1,20mの手すりがぐるりと張り巡らされている。海峡を渡ってくる風は冷たく、デッキに出るときはフードを頭まで引き上げ、手袋をしないとすぐに凍えてしまう。

デッキから望む、アンデスの山々が雪を頂いた風景は正に絶景で、その昔、わが社のツアーで、景色に見とれて海に転落した人がいたことも、なんとなくうなずける。アルゼンチンとチリーの国境になっているビーグル海峡は、波は穏やかで船の揺れも少なく、途中で、地球最南端の灯台があるホーン岬や、アシカたちが寄り添って昼寝をしている小島などに一時停船しながら、2時間余の航海でペンギンの里に到着した。

ペンギンの里

ペンギンの里

そこには、まぁーペンギンが居るわ居るわ...渚から小高い丘にかけて、ゆるやかに広がる海浜に、体長70センチ程のペンギンたちが所狭しとひしめき合っている。中には、海に潜って魚狩りをしているペンギンたちもいるが、陸のペンギンたちの大部分はその場所にじっとしたまま佇んでいる。まるで、そこを動けば、別のペンギンに場所を取られてしまうのを危惧しているかのようだ。船客たちは、全員、寒いデッキに出て、夢中でシャッターを切る。カップルたちは、交代でペンギンを背景に、お互いにポーズをとってカメラに収まる。写真撮影が一段落したところで、船は舳先を巡らせて帰路についた。

黄昏のビーグル海峡

黄昏のビーグル海峡

ビーグル海峡の海流は、大西洋から太平洋に向かって流れているようで、帰路はノット数が加速して、1時間半しかかからなかった。ウシュアイアの港に着くと、昨日停泊していた大型豪華客船は姿を消し、その替わりに二隻の中型客船が、新たに入港していた。話によると、ウシュアイア港は、南極大陸周遊ツアーの玄関口になっていて、客船は、ここを起点にして南極に向かうそうだ。

翌日は、一日ゆっくりと「地の果てショッピング」を楽しんだ。メインのサン・マルチン大通りには、軒並みに土産物屋がある。圧倒的に種類も数も多い土産物は、ペンギンで、素材と造作に工夫を凝らした大小様々なペンギンたちが、店中所狭しと並んでいる。

ウシュアイアでの買い物。馬の置物とペンギン

ウシュアイアでの買い物。馬の置物とペンギン

ジュエリーも数軒あって、アルゼンチン特産の石で細工したペンギンや、様々な動物がショーウインドーを賑わしている。ロドクロジータ(別名インカの石)と呼ばれる、ピンクの石を使った彫物が多い。

そんなジュエリーの一つで、ショーウインドーの中に、馬の頭を彫った高さ40センチ程の置物があるのが目に留まった。取り出して見せて貰うと、原石は緑色をしたアルゼンチン・アクアマリーナとのことで、実にリアルに彫られている。持ち上げてみるとズシリと重い、7~8キロはあろうか。私は、足元を見られないために平静を装ったが、実は、これほど見事な馬の彫刻は今まで見たことがなかった。馬好きの私には、正に垂涎モノだ。値段を訊くと1万ペソ(1千米ドル)だという。そっと家内に目配せをする。「気に入ったのなら買ったら?」と、目で言っている。私は、余り興味が無いようなフリをして、賭けに出た。「7千ペソなら買ってもいい」。店員はオーナーにお伺いをたてるために奥に消えた。答えは「NO」だった。吾々は小さなペンギンを2,3個買っただけでその店を出ようとした時、店員が「チョットお待ちください!」と追いかけてきた。結局、7千ペソでOKということになった。余りに重いのでホテルに届けて貰うことにして店をでた。店から離れると、家内が私にパチッとウインクした。

「地の果て」の太陽は夜10時頃まで天空に留まり、朝の5時には再び空に戻ってくる。ウシュアイアではタラバカニをふんだんに食べ、ペンギンの里を訪れ、おまけに見事な馬の置物を手に入れて、満足感にひたりながら、我々は最後の短い夜を過ごし、翌日「地の果て」を後にした。

ウシュアイアを飛び立ったボーイング737機は、4時間余りでブエノスアイレス空港に着いた。時刻は午後6時半だ。気温は今までの寒さがウソのように、24℃と温かい。ひょっとしたら、タンゴショーに間に合うかも知れない。ホテルに向かうタクシーから旅行エージェントに連絡したら、8時半のディナー・ショーになんとか間に合うという。予約を入れて、ホテルにチェックインし、大急ぎでシャワーを浴びて着替え、タクシーでタンゴ・ハウスに向かった。

タンゴハウス。エル・ビエホ・アルマセン(古倉庫)

タンゴハウス。エル・ビエホ・アルマセン(古倉庫)

もう何度も来た、エル・ビエホ・アルマゼーン(古倉庫)だ。夕食は、タラ料理と白ワインを注文した。ゆっくりと食事を楽しんでから、筋向いにある小劇場に席を移した。今回の席は、中2階のロフトで、ステージを正面から見下ろせる絶好の場所だ。どうも駆け込み予約だったせいで、一般席が満杯のため、アップグレードされたようだ。吾々は時々シャンパンで喉を潤しながら、相変わらずすばらしいタンゴ・ショー(参照:http://bit.ly/1m2Gtwq)を楽しんだ。

多彩で見どころ一杯のパタゴニア・ツアーをつつがなく終え、帰路にブエノスアイレスのタンゴショーで締めくくって、翌朝、私たちは、アエロパルケ空港からサンパウロに向けて飛び立った。(完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
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(99)南の地の果て:パタゴニア への1件のフィードバック

  1. urshinho より:

    このツアーに行ってみたいですね。すごく魅力があります。

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