(89) コリンチャンスと熱狂的なサポーターたち

コリンチャンスのシンボル・マーク

サポーター数が3千万人といわれる、ブラジル(サンパウロ州)随一の人気サッカー・チーム、コリンチャンスが去る7月11日に、2012年度の南米選手権(リベルタドール杯)で、アルゼンチンの強豪ボッカ・ジュニオールとの最終戦を熱戦の末に制し、奇しくもクラブ創設100年目にして念願の初優勝を遂げた。その結果、来る12月6日から日本で開催される、クラブチーム世界選手権(トヨタ・カップ)に初めて出場することになった。

コリンチャンスはリオ・デ・ジャネイロのフラメンゴFCと肩を並べるブラジル最大の人気チームであるが、一世紀の歴史を誇る名門であるにも関わらず、過去にリベルタドール杯を獲得したことはなかった。それでも、ブラジル選手権7回、サンパウロ州選手権26回の優勝を成し遂げてはいるが、こと南米選手権に関しては、毎年サンパウロFC、パルメイラスFC、サントスFCなどのチームの後塵を拝し、世界選手権に出場するチャンスをいつも逃していたので、他のチームのサポーターたちから「パスポートを持たない内弁慶」などと揶揄されていた。したがって今回の快挙は、熱狂的なサポーターたちが永年の屈辱から開放され、一気に溜飲を下げた、正に画期的な出来事であった。

優勝を決めた翌日は、平日(木曜日)であったが、大半のコリンチャンス・ファンたちは職場に姿を現さず、自宅で二日酔いで寝込んでいるか、もしくは、サンパウロのメイン大通り、パウリスタ・アヴェニューを交通閉鎖して埋め尽くした祝賀デモ行進に参加していたといわれているが、コリンチャンス・ファンの熱狂の度合いをよく理解している職場のオーナーたちや、朝のラッシュ時のデモで、通勤に支障をきたされたドライバーたちからも、ほとんど苦情は聞かれなかったという。

コリンチャンスFCの創設は、5名のサッカー好きの下層労働者たちのアイデアによるもので、なけなしの金を出し合って1910年にサッカーチームの母体らしきものを作ったのがキッカケで、その後、1912年にクラブチームとして登録された。クラブ名は、当時ブラジルに遠征してきた同名のイギリスのサッカーチームのプレーに魅了されたメンバーたちが、「コリント人」という意味の名前を拝借した形で命名されたという。そのせいか、現在も3千万人いるといわれるコリンチャンのサポーターは、下層階級の人たちが数的には断然多いが、中産・上流階級のサポーターの数も、実は少なくなく、その支持層は極めて幅が広い。同じサンパウロのチームでも、中産階級にファンが多いサンパウロFCや、イタリア系ブラジル人が支持層の中心になっているパルメイラスFCとは好対照である。

ブラジルのサッカーの試合は、水曜日と土曜日の夜に行われるが、サンパウロ市内でコリンチャンスの試合がある日は、夕刻になると、あちこちの街頭でチームカラーである白黒に彩られた大小のクラブ旗を立ち売りする人たちの姿が目立つ。それを買ったドライバーたちが、コリンチャンス・ファンであることを誇示するように、車窓から旗を突き出してたなびかせながら、夕方の街路を走行する光景は壮観である。試合が始まる10時ごろになると、サンパウロ市内を走行する車の数はめっきり少なく感じられるのは、コリンチャンスのサポーターたちがスタジアムに詰めかけているか、家でテレビにかじりついているせいだ。試合でコリンチャンスがゴールを決めると、サンパウロの街中、至るところで爆竹が空に放たれて鳴り響くので、どこにいてもゴールしたことが解る。ちなみに相手チームのゴールに対しては、遠慮がちにパチパチと上がるのみだ。

今、ブラジルでは国中が、2014年に開催されるワールド・カップの準備におおわらわである。ブラジルにおけるサッカーの中心地はといえば、リオとサンパウロが双璧である。リオには開会式が予定されているマラカナン・スタジアムというFIFAも認める立派な球技場があるのに比べ、一方のサンパウロにあるスタジアムは、どれもFIFAの規格に適応していないことがワールドカップ開催が決まった後になって判明し、あわてたサンパウロ州政府は、メンツにかけてもワールカップの主要ゲームを、サンパウロ市内で開催せんがために、急遽、規格にかなったスタジアムを建設することを決定した。

2014年ワールドカップの主要スタジアムになるコリンチャンス球技場

これに便乗したのがコリンチャンスである。元々同チームのホーム・グラウンドであるパルケ・ソンジョージは、収容人数が少ないために正式競技にはほとんど使われることがなく、大人数を収容できるホーム・グラウンドを所有することは、コリンチャンス・ファンたちの永年の夢で、将来のためにサンパウロ市の郊外、イタケーラ区に、そのための用地を確保していた。ワールカップ開催に伴い、サンパウロ州政府とコリンチャンスの思惑が一致し、政府が建設費の融資を仲介するかたちで、コリンチャンスのホーム・スタジアを建造することで話がまとまり、2011年の5月30日に着工の運びとなった。スタジアムの青写真によると、FIFAの規格に添った6万5千人収容の、サッカー王国ブラジルのメイン・スタジアムに相応しい近代的な球技場になる予定である。

白黒カラーのコリンチャンスのユニフォーム

「コリンチャーノ」と呼ばれるコリンチャンスのサポーターは、とにかく熱狂的で、ホームの試合ではスタジアムの90%は、白と黒のシャツで身を固めたコリンチャーノたちで埋め尽くされるのが通例で、アウエーの試合には場所の遠近に関係なく応援に出向き、スタンドの50%を白黒のコリンチャンス・カラーで色どらなければ気がすまないほどで、彼らのチームに対する愛情は生半可ではない。サンパウロ州内のどんな小さな町にも、繁華街やショッピングセンターにコリンチャンス・グッズの専門店があり、ユニフォームのレプリカを始め、キャップなどの応援グッズに加え、シンボルマークと白黒基調でデザインされた様々な日用雑貨品がズラリと並んでいる。それだけで商売になるのだから、コリンチャーノたちのチームに対する愛情とこだわりにはつくづく感心させられる。ちなみに日本で最も人気があるといわれている読売ジャイアンツのグッズ店が東京都内に数十軒あるとしたら、果して採算が取れるだろうか?答えはおそらく「ノー」だろう。

私が、たまたま白黒カラーのシャツを着て街でも歩こうものなら、あちこちから「オー、ジャポネース・コリンチアーノ!」と親しげな声がかかってくる。クラブのシンボルは鷹で、サポーターは別名「ガビオン・デ・フィエル(忠誠のタカ)」と呼ばれ、身も心もコリンチャンスに捧げ、忠誠を誓うのが真のコリンチャーノであるとされている。また親子代々、コリンチャンス・ファンであるという家族も少なくない。

12月に日本で開催されるクラブ選手権(トヨタカップ)にも、おそらく大勢のコリンチャンス・サポーターたちが、はるばるブラジルから遠征して白黒カラーで日本のスタンドを彩り、その熱狂振りを日本のサッカーファンたちに披露することになるだろう。(完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: その他、色々 パーマリンク

(89) コリンチャンスと熱狂的なサポーターたち への2件のフィードバック

  1. kitano yosinari より:

    30年前モジにいった時、お前はどこのフアンだと聞かれたら、コリンチャスだと答えないと
    殴られそうな雰囲気でした。日本の野球でいえば東京の巨人以上でしょう。
    もう故人になったソクラテスのひげづらが思いだされます。
    日本での活躍期待しています。

  2. P.Marquis より:

    タイガースファンの方が熱狂的でコリチャンスに近いでしょう、日本でコリチャンスのテイシャツ探してトヨタカップの頃に着てブラジル料理を食べに行けば楽しいかな?

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