(80)子連れで結婚式

その青年は明らかに東洋系で、スラリとした、いわゆるイケメン・タイプだった。

末っ子の娘、マリーナの23才の誕生パーティーで紹介された青年の名前はシュウーといい、母親が中国人で父親がポルトガル人とのことだったが、母親の血をより引いているように見えた。長髪で理知的な雰囲気をもった彼は、新進の建築デザイナーだという。その日、娘は青年にゾッコンであることを、周囲の人達に隠そうともしなかった。

青年は、サンパウロ随一の高級住宅地、モロンビー区に大邸宅を構えているファミリーの子息で、娘によると、サンパウロ大学の建築学部を優秀な成績で卒業した秀才で、建築業界でも将来を嘱望されている若手デザイナーだということだった。

ブラジルは人種のルツボで、差別は罪悪とみなされる国なので、娘がどんなルーツを持つ男性をパートナーに選択しようが、ファミリー間に経済格差(先方はAクラスなら当方はC)があろうが、私としては文句をいう筋合いではないが、その青年の持つクールな雰囲気が、何となく気になった。

シュウーのファミリーは、風光明媚な離れ小島、イーリャ・ベーラ(訳。美しい島)に大きな別荘を持っている。サンパウロからリオ・デ・ジャネイロに向かって約100キロ地点にあるサン・ジョゼ・ドス・カンポスから、海岸山脈を90キロ程下ると港町サン・セバスチョンに到着する。そこからさらにフェリーボートで海峡を渡ると、イーリャ・ベーラに行き着く。娘の母親(私の元妻)によると、その島の山麓にある、海を見渡せる瀟洒な別荘に、マリーナは週末になると、いつも泊りがけで出かけて行くとのことであった。

それから3年後、娘は失恋した。

私は娘と同居していなかったが、時々会うその姿は、とても痛々しかった。

そんな彼女が、数ヵ月後に、徐々に元気を取り戻し始めた。どうも新たな彼氏が見つかったらしい。

マリーナが生まれ育ったのは、サンパウロ市の南部、所得層でいうとCクラス(中流の下)が主な住民であるビラ・マリアーナ区の、これまたCクラスの人たちが多く住んでいる16階建てビルの2階にある、約100平米のマンションで、私が33才の時にやっとの思いで手に入れた、最初のマイホームであった。

その新たな彼氏というのが、同じマンションの10階に住んでいた幼馴染のレアンドロという名の青年で、聞くところによると、彼にとってマリーナは、15才の頃から思いを寄せていた初恋の女性だったらしいが、彼女にとっては、単なる友達の一人だったようだ。彼は、10才の時に父親と死別し、母親の手で3人兄弟が育てられたということで、決して恵まれた家庭の子息ではない。

どういういきさつで、二人がつきあうようになったのか知る由もないが、ゲスの勘ぐりで、私は青年が失意のマリーナに付け入ったのではないかと思ったりして、イマイチ彼が好きになれなかった。それに、レアンドロがわが社の従業員で、マリーナとは主従関係にあることにも、何となく胡散臭さを感じていた。

人種差別のないブラジルでは世代が進むと、血が入り混じって何系の人種だかわからなくなってしまう。レアンドロの苗字はカルヴァーリョで、一応ポルトガル系であるが、元妻によると、彼の母親は、その外見からすると、先祖にかなり高い確率で、黒人の血が混ざっているという。

そんな両親の気持ちを慮(おもんばか)ってか、マリーナは二人の関係を進展させようとする気配が見えないまま、三十路を迎えた。彼女にとって、3度も結婚に失敗している父親を身近で見るにつけ、結婚というスタイルを採択することに、イマイチ踏ん切りがつかなかったのかもしれない。

マリーナは、私が教えた、スコッチを椰子の水で割る飲み方が好きで、ある日、グアルジャー島にある私のマンションのテラスで、二人して夕闇がせまる海を見ながら、ロンググラスを傾けていたときに、ふともらしたことがあった。

「パパは、独身の母親をどう思う?」その言葉に、私は、娘はレアンドロを愛しているのだ、と思った。

「別に悪くないと思うよ。もし、お前さんに育てられないときは、パパが引き取って育ててやるよ」と、私は半分冗談めかして答えた。

その言葉に勇気を得たのかどうか定かではないが、それから数ヵ月後に彼女は妊娠した。

髪はカールした栗色、目の色は深緑の孫娘

そして、かわいい女の子が生まれた。髪の毛は、直毛ではなくカールした栗色で、生まれたときはグレーっぽかった目の色は、大きくなるにしたがって、深い緑色になり、活発で利発な子供に育っていった。

マリーナたちは、互いに独身のままであったが、彼女はモエマ区にある母親の家のすぐ近くにマンションを手に入れて、親子3人で移り住んだ。それからというもの、レアンドロは、彼が持っていた意外な側面を、如何なく発揮しはじめた。オシメの交換は言うに及ばず、幼稚園の送り迎えにはじまり、毎日風呂に入れ、プールや遊園地で共に遊び、極めつけは、むずかる娘を毎晩寝かしつけるという、並の男性ならまずやらないことを、イヤな顔ひとつせずに、当然のようにこなした。おまけに、会社では営業部長を務め、そのお陰で、マリーナは母親でありながら、同時に経営者としての仕事にも集中することができた。

そんなマリーナが、子供が3才になったとき、突然、結婚式を挙げると言い出した。彼女曰く、発想の発端は、娘のカタリーナから「パパとママの結婚式の写真はどこにあるの?」と訊かれたことだという。

実は、私はマリーナが3才の時に、彼女の母親との結婚を解消して家を出た。そんな彼女が、奇しくも自分の娘が3才になった時に、正式に結婚するという。私は自分の過去との因果のようなものを感じた。離婚してからも、私は定期的に娘たちと会ってはいたが、日々の生活の中で、子供たちとのスキンシップを体験することはなかった。父親の不在は、きっと小さかったマリーナの心に、ポッカリと大きな穴を空けていたのだろう。そんなマリーナが幼少期に求め、得られなかった父親の姿を、彼女はレアンドロに見出したのかも知れない。

私はマリーナから「子連れの結婚式なので招待客はごく身近な100名程度にしぼり、普通のセレモニーとは一風異なったシックな雰囲気のものにしたい。ついてはパパに、月並みのスピーチの替わりに生バンドで、スマートに一曲唄ってもらうというのはどうかしら」と打診された。選曲と演出は、私にまかせるという。

3才の子供を伴った結婚式

12月9日、式の当日になった。会場は、モエマ区のインジアノポリス大通りにある白亜のパーティー催場、「ブッフェ・コロニアル」だ。その日は夕方から小雨がシトシトと降り始めた。私は、バンドとの打ち合わせのために、少し早めに会場に顔を出した。

午後9時、仏教スタイルのセレモニーが終わり、人々は隣接のパーティー会場に移動した。シャンパンが抜かれ、間もなく私の出番となった。

一段高いステージから見ると、会場は薄暗く、マリーナとレアンドロだけがライトの中に浮かびあがって見える。かねての打ち合わせどおり、エレキギターが短い音で、出だしの音程を伝えてきた。

「乾杯」を絶唱する筆者

私は、二人に目をやりながら、「乾杯」の2小節目から、伴奏なしで、語るように唄い始めた。スクリーンには、ポルトガル語で訳文が映し出される。

「キャンドルライトの中の二人を 今こうして目を細めてる

大きな歓びと 少しの寂しさを 涙の言葉で唄いたい」

「明日の光を身体に浴びて 振り返らずに そのまま行けばよい 

風に吹かれても 雨に打たれても 信じた愛に 背を向けるな」

父の絶唱を見守るマリーナとレアンドロ

そこで突然、大音響でバンドの演奏が始まった。ドラムが先導し、サックスとエレキギターが追従する。それにボーカルが合唱で加わる。

「乾杯、いま君は人生の 大きな大きな舞台に立ち はるか長い道のりを 歩き始めた 君に 幸せあれ!」

最後は、フレーズをリピートして絶唱し、曲は一気に盛り上がった。

歌詞の一言一言は、今の心境をそのまま二人に伝えるメッセージだった。私は、胸に迫るものを感じながら歌い終えた。そして、全員に呼びかけて、二人への乾杯に唱和して貰い、私はステージを降りた。

婿の耳元で「娘を幸せに..」と囁く

マリーナは涙ぐんでいた。私はそんな彼女を、無言で、力一杯抱きしめた。そして隣のレアンドロに近づき、耳元で囁(ささや)いた。

「娘を幸せにしてやってくれ!」

「ハイ。まかせてください!」その日、私には、それ以外の会話は必要ではなかった。

私はそのまま会場を横切って出口に向かった。すれちがう人々の中に、目を潤ませている何人かの女性たちを見たとき、私は、娘に対して少しだけ昔の埋め合わせができたかな、と思った。

誰とも言葉を交わすことなく、どこか静かな場所で、一人で飲みたい心境にかられ、私はそっと会場を後にし、小雨の降る道を、駐車場へと足を運んだ。(完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: (ジ)人種差別がない パーマリンク

(80)子連れで結婚式 への3件のフィードバック

  1. 吉田利明 より:

    この度はおめでとうございます。良かったですね。
    読み終えてからとても胸が熱くなりました。
    mshojiさんの文章はいつ読んでも違った感動を与えてくれます。
    ありがとうございます。

  2. 東海林秀明 より:

    ご無沙汰しています。親愛なる従姉妹マリーナの結婚式に「乾杯」をセレクトされたと知って流石だと思いました。
    僕がブラジルでお世話になっていた時に、マツバラでセリアさんの両親の結構記念日のパーティーで同じ歌を歌ったのを覚えていますか?
    今度、一緒に歌わせてください。
    また、そちらでお会いできることを楽しみにしています。
    甥 秀明

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中