(77)震災のためにラーメンが食べられない

ブラジルでも本格的ラーメンが食べれるようになった

いつだったか何かのものの本で、日本の刑務所で刑の満期を控えている人たちへのアンケートで、シャバに戻ったら最初に食べたいモノを訊ねたところ、90%が「ラーメン」と回答した、とあったのを読んだ記憶がある。本来、ラーメンが伝統的な日本料理であるかどうかは別にしても、現代において、ラーメンが国民的人気度ナンバーワンの食べ物であることは、間違いのないところだろう。

外国人が誰でも知っている日本料理と言えば、寿し、刺身、天ぷらなどがメジャーで、ブラジルに数多くある和食レストランでも、これらがメニューのメインになっているだけではなく、それだけを提供する専門店の数も多い。

ところが最近になって、メニューの片隅にあって、脇役的存在だったラーメンが俄然注目を浴び、ブレイクし始めている。

サンパウロにラーメン専門店が出現

ブラジルで、日系人が最も多く在住しているサンパウロ市には日本食レストランが400店近くあるが、最近になってラーメン専門店がいくつか出現し始め、昼食時や週末には長蛇の列ができる程、どこも大繁盛している。

専門店だけあって、品質にはトコトンこだわっていて、その味は日本のラーメン専門店で出されるものと、ほとんど大差がない。

私は、1992年から東京に12年間滞在して、在日ブラジル人たちのために、ポルトガル語新聞を発行していたが、従業員のジャーナリストたちは、全てブラジル人で、平均3年間日本に滞在し、延べ100名以上が入れ代わり立ち代り、交代で勤務した。そんな彼らが、例外なく最も好んだ食べ物の一つが、ラーメンであった。文京区駒込にあった新聞社の近くに、ラーメン専門店が2軒あって、ジャーナリストたちは3日に空けず訪れて、フーフーいいながら麺をすすっていた。すなわち本場日本のラーメンは、間違いなくブラジル人たちの嗜好に合った食べ物で、特にトンコツ・ラーメンなどは大好評であった。

それにも関わらず、これだけ和食レストランが多くあるブラジルで、これまでラーメンがあまり注目されなかった理由は、レストランのオーナーたちが、メニューの中のラーメンを重要視しなかったために、本物のラーメンを提供する研究と努力を怠っていたことに原因があると思われる。

年間15億個が消費されるブラジル製インスタント・ラーメン

ブラジルにおけるラーメンのブレイクには、伏線があった。それは、1982年から日清食品が、現地でインスタント・ラーメンを製造販売し始めたことだ。足掛け20年を経た今日、国民一人当たり8個に当たる、年間15億個(単価は1,5レアール・約75円)のラーメンが消費されている。惜しむらくは、当初、「MIOJO(ミョージョー)」というブランドで発売したために、いつしか商品名がラーメンではなく「MIOJO」と呼ばれて庶民に普及してしまったことである。いずれにせよ、この種の食べ物がブラジル人たちの好みにあっていることは疑いのないところだ。

ちなみに、昨今では日本製の即席ラーメンも出回っており、一個4レアール(約200円)で、飛ぶように売れている。

日本から輸入された即席ラーメンが飛ぶように売れる

もう一つの伏線は、1990年から始まった、日系ブラジル人たちが日本に行って働く、いわゆる「出稼ぎブーム」で、ブラジルと日本の間を行き来するブラジル人たちが急増し、彼らがこれまで伝えられていなかった新しい日本文化を、ブラジルに持ち帰ったことである。

ラーメンもその一つで、ブラジル人たちが味わった日本のラーメンは、波紋が広がるように噂を呼び、いつしかブラジル市場で多くの人たちから「トレンドな日本食」として、その出現を嘱望される食べ物になっていった。ちなみに、ラーメン専門店のいくつかは、出稼ぎで資金をためた日系人たちが帰国し、独立して開業したものである。

専門店の味へのこだわりは半端ではなく、日本のモノと変わらない品質のラーメンを提供するために、麺と醤油を含む調味料の全てを、日本から輸入して使用する店が現れた。

東洋街にあるラーメン専門店「和(かず)」

そんな店の一つが東洋街にある「ラーメン和(かず)」である。

文京区駒込にあった弊新聞社の近くに「和(なごみ)」というラーメン専門店があって、従業員たちとよく通ったものだが、スタッフの黒装束と、トンコツ・ラーメンの抜群の味が特徴で、どうもサンパウロの東洋街の「和(かず)」は、字の読み方こそ違うが、駒込にあった店を真似たようなフシがある。

私は、その名前の懐かしさに惹かれて始めて店を訪れたが、その味は駒込のラーメンにヒケをとらぬ美味しさで、感動的ですらあった。但し、値段の方は駒込のそれの約2倍で、25レアール(1250円)であった。

従業員のユニフォームは黒装束

それでも味に惹かれてファンになり、何回か通っていたある日、いつものようにウエイターから手渡されたメニューを見て、私は吾が目を疑った。メニューにはカレー・ウドン、トンカツ定食、ギョーザ定食などがズラリと並んでいて、ラーメン類は、忽然と姿を消しているではないか。私は狐にでもつままれたのかと、思わず店内を見渡したが、そこは確かに「和(かず)」に間違いない。

そんな私を見て弁明に現れた、オーナー店長のカズヒロ・タカギ氏曰く、東日本大震災による原発事故のために、放射能による汚染を危惧したブラジル政府は、日本からの食料品輸入を厳しくチェックしており、材料の陸揚げができないのでラーメンが作れない、とのこと。タカギ店長は、味へのこだわりが裏目に出たと、嘆くことシキリであった。

震災から6ヶ月経った今でも、NHK国際衛星テレビで、被害に関する生々しい報道が続けられているが、ブラジルからは遠い海の向こうの出来事なので、現実味がイマイチであった。「風が吹いて桶屋が儲かる」という例え話があるが、「日本に地震が来て、ブラジルのラーメン屋が大損をする」とはお釈迦様でも想定外であっただろう。震災の影響は、計り知れない所にまで及んでいるのだ。

ちなみにその日、私と同伴者は、仕方なくトンカツ定食とギョーザ定食を注文したが、ラーメン専門店にとって、レパートリーではなかった急場しのぎのメニューは余り得意ではないと見えて、お味の方はイマイチであった。 (完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
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(77)震災のためにラーメンが食べられない への5件のフィードバック

  1. shoji6 より:

    日系人がラーメンを懐かしがるのは判るけれど生粋のブラジルの方々にまで食指をそそらせるとは不思議なラーメンではあります。札幌、旭川、喜多方、和歌山、博多ラーメンなどなどそれぞれ麺の種類やスープ、中身を少し趣向を変えただけで、余り大差ないご当地ラーメンオンパレードの日本ですが、そうは言いながらもその地に行けばやっぱり食べて仕舞う。先月九州佐賀県に所用あり、帰途博多駅構内二階ラーメン横丁で噂の博多豚骨ラーメンを初めて食したがスープに灰汁がウジャウジャ浮いていて、ラベル高き人種の自分(自分で勝手にそう思っている)には、こいつは下衆の食い物だ、と食欲半減した。選んだお店が悪かったのか?しかしこれからも行く先々で絶対ご当地ラーメンを食べると思う。今回エピソード冒頭の写真、シンプルな醤油(?)ラーメンは美味そう!

  2. 北野 能成 より:

    私は1981~1982年と2009年にブラジルのモジに行きました。
    2009年パンを買うのがめんどくさくなって、朝飯にモジで売っていた日本から輸入のラーメンを食べて
    いましたが、売り切れとなり、やむなく韓国製のブラジル人向けに味付けされたカップヌードルを買い
    食べました。ところがあまりのまずさに半分も食べられませんでした。1981年にサントリー
    (サンパウロにある高級・高額レストラン 今はシントリーとなぜか名前を変えた。)の部長が、『日本人が
    うまいと感じる味をブラジレイロがうまいと感じるとは限らない。だからラーメンの販売はむずかしい。』
    と言っていたのを思い出しました。 写真にあるアスカへは行きましたが、入口の前にあるベンチで
    順番待ちの状態であきらめて、中国人のバールに行きました。
    (リベルダージは今では中国人のほうが多いのではないだろうか。)
    ラーメンという食文化は根付くかも知れませんが、味はだんだん変っていくものと予想します。

    • mshoji より:

      日本食の普及パターンを見てみると、先ずブラジル在住の日本人が日常的に食べているのを見た二世、三世などの日系人が食べ始め、それらの日系人の仲間、友人、恋人、配偶者などのブラジル人たちが習って食べ、さらに彼らが他のブラジル人たちを誘う…というプロセスで広がってゆくようです。いづれにせよ、最初の段階でマズければ広がることはない訳で、その点、日本のラーメン専門店やご当地ラーメンのなどは、本当においしいので、在日外国人たちも好んで食べます。ブラジルでもようやく、日本で普及しているようなおいしいラーメンが食べられるようになった、ということだろうと思います。韓国製といえば、日本製の即席ラーメンが放射能の危惧で、数ヶ月前からブラジルで陸揚げされておらず、それに替わって韓国製ラーメン、うどんなどが食料品店の棚を占領しています。私も、試食してみましたが、辛子控え目のラーメン、うどんなどは結構イケると思いました。

  3. 和田 好司 より:

    東海林 さん
    中々面白い話題を選び書き続けておられますね。
    現在はモジとグアルジャのどちらに住んでいる時が多いのですか?
    西さんのお嬢さんから連絡があり香典返しを送りたいとの事でしたがその内、御線香を上げに行くからそのまま預かっておいて欲しいと返事したままになっています。12月にでも皆で集まるようなことがあれば知らせて下さい。11月11日(金)にリオで『私たちの40年!!』メーリングリストのミニOFF会を山下君達と遣る事になっておりリオに出かけます。次女の茜がリオに移住、3女の小百合はニュージランドに移住してしまい一番先に遠くに行ってしまうと思っていた弥生だけがポルトアレグレに留まって語学学校をやっています。
    メールを読む時間位はありそうなので『私たちの40年!!』メーリングリストにも参加して下さい。貴兄の話題から是非皆さんに紹介したい物もありBLOG、寄稿集等に勝手に転載させて貰ってもよいですか?
    既に下記は掲載済みです。

    神高生ブラジル移住のパイオニア、逝く  東海林 正和さんの追悼記
    神戸高校9回生の西 精二先輩が11月29日に亡くなられましたが、12回生の東海林 正和さんが神高生のパイオニアと位置付けされた西先輩を偲んで追悼記を彼のBLOG【ブラジルに50年・男のエッセイ】書いておられます。
    『私たちの40年!!』寄稿集に関係記事を掲載しておりますが、別枠として収録して置きたいと思います。
    東海林君の移住を決心した経緯、ブラジル到着後の印象、西先輩の独立時の経緯「ニシ ニゲタ」の電報、同期9回生の新井秀介先輩との切っても切れない友情、私の知らなかった事も紹介されており西先輩を偲ぶ追悼記としては最高の寄稿です。同君が書いている「Cemiterio da Paz は、綺麗な墓場でした。現場を見ると、他人ごとではない気がします。」のコメントに全く同感の意を抱きます。元気な間は元気に生きて行くことが故人への手向けに成るのではないかと思います。
    写真は、初七日の法要の席上で山下さんが撮られた霊前の西先輩の遺影をお借りしました。
    http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1516

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