(76)南国の島にある書院造りの館

グアルジャー島のエンセアーダ海岸

サンパウロから海岸山脈を大西洋に向かって80キロ下ると、サントス港に至る。その沖合に、日本の瀬戸内海にある小豆島と同じくらいの大きさ(14万平米)の、グアルジャー島と呼ばれる小さな島がある。美しい海と白砂の海浜に囲まれた風光明媚なその島は、別名、大西洋の真珠と呼ばれている。

数ある海浜の中でも、最も広くて美しいのがエンセアーダという名の全長7キロの海浜で、渚に沿って弓状にミゲール・ステファノ大通りが走っている。ステファノ大通りのやや街寄り、海に面した2万平米の敷地に、フラット・スタイルのグアルジャー島最大の観光ホテル、カーザ・グランデがあり、そのすぐ隣に、エンセアーダ海岸では最古のデルフィン・ホテルがあって、その周辺は島内最大の観光スポットになっている。

エンセアーダ海岸にある書院造りの館

デルフィン・ホテルの前を通り過ぎて1ブロック歩くと、日本瓦を乗せた、高さ2メートル程の白壁の土塀が100メートル程続いていて、その上から松の木が頭をのぞかせている。その奥に、本格的な書院造りの日本屋敷が静かにたたずんでいることを、知る人は少ない。

私はかねがね、誰が、どのような理由で、この南国の島にこれほど立派な日本屋敷を建立したのだろうと、不思議に思っていた。そして最近になって、ようやくその真相を知るに至った。

1950年代、サンパウロ州の商工業界で財を成した資産家たちが、別荘地としてグアルジャー島に目を付け、競って土地を購入し始めた。

当時、サンパウロ州に在住する中産階級の人たちの別荘地といえば、サントス市の海浜に面した地域で、リオのコパカバーナと同じように、海岸線に沿って、数キロに亘って軒を並べている白亜のマンションに、セカンドハウスを構えている人たちがほとんどだった。

そのサントス海岸から海を隔てた沖に浮かぶグアルジャー島に渡るには、一日数回往復するフェリーボートがあるのみで、アクセスが悪いために、島は別荘地としては注目されていなかった。

そんな島に目を付けて、土地の買収を始めた資産家たちは、並みの中産階級の人たちではなく、政界にも多大な影響力をもつ桁違いの富豪たちで、将来の、州政府による島そのものの開発を見込んだグループであった。

彼らの政治力が発揮され、間もなくフェリーボートがピストン運転を開始し、海岸線を迂回して島に至る高速道路の建設にも着手された。

資産家たちが主に買い占めた土地は、島で最も美しく、広くて長いエンセアーダ海岸で、それぞれ5千平米から1万平米の土地を手に入れたが、中には商工業界の稼ぎ頭、マルフ・ファミリー(トルコ系)の様に、資金力に物をいわせて、ちょうど海浜のド真ん中に当たる場所に、海辺から背後に迫る山の麓まで、幅500メートル、奥行き2キロの土地を、一族で買い占めてしまった超富豪も居た。

私がブラジルに到着した1960年は、ちょうどその買い占めが進行していた頃で、翌年の夏の休暇に社員旅行で初めてグアルジャー島を訪れた私は、偶然エンセアーダ海岸の端っこにある小さな借家で3日間を過ごした。

土地の買い占めのことなど、知る由もなかった私は、ただただ美しい島の景観に目を奪われていたので全く気付かなかったが、その頃すでに広い浜辺のあちこちの土地で、いくつかの別荘建設が始まっていたようである。

当時、既にエンセアーダ海岸にあった建物で記憶にあるのは、その年にリオから移転した首都ブラジリアの斬新な建築物の数々をデザインしたオスカール・ニーマイヤー氏の別荘で、柱がなく、空間に浮いたように張り出した、20メートルはあろうかという細長いベランダのある奇抜な建物が、浜辺に一軒だけポツンと建っていたのが印象に残った。

グアルジャー島における資産家たちの別荘建設は、それぞれの財力を誇示するかのように、当時の建築技術の粋を集め、いずれ劣らず贅を尽くしたもので、見栄と名誉の競演であったようだ。

山水風の前庭

そんな富豪たちの一人によって、1961年にエンセアーダ海岸に建てられたのが、山水風の日本庭園を備えた、本格的な書院造りの屋敷で、完成したのは、奇しくも私が初めてグアルジャー島を訪れた年である。

私は、グアルジャー島に住むようになって5年になるが、いつも通る歩道に沿って続く土塀の隙間から、チラッと日本屋敷らしき建物を覗くだけで、中に入る機会はなかった。

ところがある日、そのチャンスが偶然訪れた。

去る9月10日、私がメンバーになっているグアルジャー・ゴルフクラブの月例コンペで、マルセーロ・ズッカス氏(48)と同組で回ることになった。マルセーロ氏もクラブのメンバーで、それまでに何度かクラブハウスで見かけることはあっても、言葉を交わしたことも一緒にプレーすることもなかった。彼はラウンド中に再三日本文化について言及した。私は、クラブで唯一の日本人メンバーなので、彼が敬意を表して話題にしているのかと思ったが、実はそうではなく、マルセーロ氏は大の日本カルチャーのファンであるだけでなく、例の海辺にある日本式家屋を3年前に買い取ったオーナーだったのだ。
二人はたちまち意気投合し、私はその日の内に、日本家屋におけるシュラスコ・パーティーに招かれて、館を訪れることになった。

床の間のある30畳の大広間(ホームシアターに活用されている)

その館は、私の想像を遥かに絶するものであった。

本格的な書院造りの建造物は、建坪900平米の堂々たる木造の二階建てで、施工後50年を経ているにも関わらず、寸分のゆがみもなく、当時の威容をそのままに留めている。大広間は裕に30畳はあろうかという広さで、床の間には重厚な床柱が存在感を示し、違い棚と見事な調和を見せている。屋敷の中央部に広めの廊下が走り、しつらえられた欄間は簡素ながら趣がある。ふすまはほとんど無地で派手さは不在である。二階には建物の周りにグルリと廊下が巡らされ、今風にいうベランダのようになっていて、すぐ目の前に青い海が望める。欄干越しに見下ろす庭園は山水風で、ひょうたん型の池には太鼓橋がかかり、色とりどりの緋鯉がのんびりと遊泳している。

ものの本によると、書院造りは室町時代に足利将軍家が好んだ建築様式で、一時代前に朝廷に好まれた神殿造りをオリジナルにしながらも、武士の館らしく極端に質素且つ簡素化したものであるという。

随所にある柱と欄間

3年前に家屋を購入したマルセーロ氏は、家族がより快適に生活できるように、調度品を洋風に取り替え、キッチンとトイレには機能面で近代的な改良を加え、池の一部をプールに改造をしたり、大広間をホームシアターに活用したりしているが、全体的には書院造りの家屋の雰囲気を損なうことなく、そのままの姿をキープしている。

その日マルセーロ氏は、グアルジャー島に本格的な日本家屋が誕生した経緯を語ってくれた。

アイデアの主は、当時サンパウロの社交界における中心人物であった、エウジ・ロエウ氏(リビア系)で、エンセアーダ海岸に、他の資産家たちが次々と豪華で趣向を凝らした別荘を建築するのを見て、彼は他に類を見ないユニークな別荘を建てたいと思ったのがキッカケだったという。

そして思考が行き着いた先は、数年前に仕事の関係で日本を訪れた際、立ち寄った京都で観たエキゾチックな和風建築物の数々で、彼の脳裏に強い印象として残っていた。ロエウ氏は、エンセアーダの海に面した1,5千平米の土地に、日本様式の別荘を建設することを決めた。

屋敷の内部を貫く廊下

元より、金に糸目をつける積りはない。ロエウ氏は取引先をツテに、日本の著名な建築家を探してもらい、契約して設計から施工までの全てを委託した。

日本からはるばる棟梁と大工たちが到着し、早速山に分け入って材料の選択に取り掛かった。ブラジルの海岸線は、大西洋系密林にびっしりと覆われていて樹木は豊富だ。潮風に強い最適の材木を選択するのに時間はかからなかった。そして、日本人のプロフェッショナルたちによる建築作業が始まった。現地で手に入らない日本瓦などは、日本からわざわざ取り寄せられたという。

2年後の1961年に、建坪900平米の堂々たる書院造りが完成した。ロエウ氏の満足度はいかばかりのものであったろう。庭園に佇んで館を仰ぐと、彼の誇らしげな顔が目に浮かぶような気がする。

そのロエウ氏は既に亡き人となり、家屋の取り扱いに戸惑った遺族は、やむなく手放すことを決断し、日本文化に造詣の深いマルセーロ氏が引き受けたというのが、これまでの経緯のようだ。

二階をグルリと巡る回廊

日本人大工たちによる材料選択の目と、建築の腕は確かなものであった。50年を経た今日まで、建物には寸分のゆがみも、一点の虫食いすら見当たらない。これが日本なら、差し詰め、重要文化財に指定されるところだろう。

庭園の隅っこにしつらえられた炉で焼かれたシュラスコの焼肉を頬張りながら、もうすっかり打ち解けたマルセーロ氏は、私に意外な話を打ち明けた。

「この館は自分にはふさわしくない」と、マルセーロ氏。

「一本の柱、壁、廊下、欄間、ふすま、障子などがかもし出す調和と、大広間や床の間などが持つ本当の価値を、自分たち家族には理解できないので、建物がかわいそうだ」と、続ける。

「それらの本当の価値を理解する人が居て、もし望まれるなら譲渡したい」といって私を驚かせた。好奇心から価格を訊いたところ、300万レアール(約1、5億円)とのことだ。

個人の住宅としては、手に余るかも知れないが、いずれかの財団法人や宗教団体なら、手に入れる価値があるのではなかろうかと、私はふと思った。  (完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
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(76)南国の島にある書院造りの館 への2件のフィードバック

  1. shoji6 より:

    粋な(黒塀ならぬ)白壁の土塀に見越しの松、大書院、それに日本庭園などびっくりしましたね-、グアルジャ-に小京都があったとは・・・。婀娜な姿な(お富さんならぬ)日本女性でも居ればもっと良いのにそれは無理というものか。
    無理すれば買えるかもと思ってる? もし買ったら庭師として住み込みで雇って下さい。でも個人では、絶対手抜き出来ない維持費を考えればちょっと無理かなぁ。
    折角お友達になったのだから、たまにお邪魔して日本茶の一杯でも呼ばれながら庭園を見渡せる廊下で冥想するのも一興、手土産程度で済むならね。
    以上半分冗談で御免なさい。

  2. P.Marquis より:

    日本人でない人が海外で日本人の設計者、大工を使って壮大な日本家屋、庭は凄いですね、庭とお茶室を作った人の話は聞いた事ありますがここまでの作品は無いでしょう、パリの薩摩の殿様が作った日本館より凄い、だいたいが日本風、オリエンタル風のそれ風のまがい物の多いですよね、でも実際にそこで生活する場合は日本風のミックスの方が日本人でない人には住みやすいのかもしれませんね。

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