(70)好敵手、現る!

そのゴルファーの名前は、テリー・ホーランドという。今年の始めに、中近東のドバイからグアルジャー島へ引っ越してきた。住居は、ゴルフ場の18番ホールのフェアーウエイに隣接した豪邸だ。

イギリス人、テリー・ホーランド(HC9)

イギリス人のテリーは、ロールス・ロイス・ドバイ支社の社長であったが、昨年リタイアーして、奥さんの故郷であるブラジルで、余生を送ることにしたとのことである。

年令は61才だが、170センチの身体はスリムで贅肉がなく、すこぶる頑強そうである。ドバイではかなりゴルフをやっていたようで、ハンディキャップは9、スイングは力強く、かなり年季の入ったゴルフをする。

去る3月のある日、グアルジャー・ゴルフクラブ会長、ミグエル・カルモン氏から、パラダイス・ゴルフクラブでゴルフをしたいので、同伴して欲しいという電話があった。パラダイスGCは、私が乗馬サービスを提供しているリゾート・ホテル(参照:「10」一夜明けたら億万長者)内にあるゴルフ場で、多少は顔が効くためだ。

その時、会長に同行して来たのがテリーだった。ブラジルの3月は未だ残暑が厳しく、その日も30度を越す暑さだったが、そのイギリス人は、いかにも涼しげにラウンドしていたのが印象に残った。それもその筈で、ドバイでは40度を越す炎天下でゴルフをすることはザラらしい。

私は、一番ホールでテリーが放ったティーショットに度肝を抜かれた。「バシッ」という音と共に打たれたボールは、見事な弾道を描いてフェアーウエイ中央に舞い落ち、私のボールを50ヤードもオーバー・ドライブして止まったのだ。その名刺代わりの一打は、私にとって衝撃的であった。

「ナイス・ショット」

声をかけながら、私の中では、その瞬間にメラッと闘争心が頭をもたげた。

彼は、未だポルトガル語を話せず、私の英語も頼りないものなので、二人の会話は余り弾むことなく、ただ黙々とプレーに集中した。

結果的に、テリーは、トリッキーな1ホールで大叩きしたものの、半分以上のホールでバーディーを含むパーで上がり、私に実力の片鱗を見せつけた。

一方、テリーはこれまで日本人とゴルフをしたことはなかったようで、私が(知り尽くしたコースだったせいもあって)彼より良いスコアーで回ったことに、いたく感嘆した様子だった。

それ以来、テリーと私は、グアルジャー・ゴルフクラブでひんぱんにプレーするようになった。

サントス港からフェリーボートで渡る、グアルジャー島にあるゴルフクラブには、会員が100名いる。リゾート地のために別荘が多く、メンバーで島に住んでいるのはたったの3名で、その他のメンバーたちは、週末になるとサンパウロからセカンド・ハウスにやってくる人たちだ。

私は今も、アスリート・ゴルファーを自負している。一打を争うトーナメントの緊張感が、たまらなく好きだ。勝つことを目的に、しゃにむにプレーをしていると、闘争心がアドレナリンの分泌を促し、緊張感がナイス・ショットを生み出す。その快感は、遊びのゴルフでは、得ることができない独特のものだ。その結果、負けたときの悔しさもさることながら、勝ったときの感動には、ひとしおのものがある。

ブラジルのシニア・オープントーナメントでそこそこの成績を残してきたが、それというのも練習が存分にできる、自宅からわずか10分のゴルフクラブに属していたからだ。スポーツである限り、練習をすれば必ず成果が出るという信念の元に、ドライビング・レンジで多くの練習時間を割いてきた。

ところが最近になって、どうも練習がおっくうになってきた。持病の腰痛のせいでもあるが、ドライビング・レンジで100球も打つと、何となく飽きがきてしまうのだ。これまで信じていた「練習あってこそ、勝利あり」のセオリーが、根底から崩れようとしている。ひょっとしたら、もう勝てないのではなかろうかという不安が頭をもたげてきた。

そこで、今までと同じように数多く球を打つという練習をしないで、トーナメントに勝つ方法はないものだろうかと、いささかズルイことを考えるようになった。

出した結論は、レンジでボールを打つより、できるだけ多くラウンドをする、ということであった。

ラウンドは一人では緊張感がなく、練習にならないのでパートナーが必要だ。ところが、我がホーム・コースは、週末にしかパートナーが現れない。

そこに、あたかも天から降って沸いたように、一人のイギリス人が現れたのだ。

シニア・ゴルフの第一人者。ロナルド・ガン(HC6)アメリカ人

グアルジャーGCには、アメリカ人のメンバーが二人居る。一人はシニア・ゴルフ界の第一人者で、私にとって最大のライバルであるロナルド・ガン(HC6)である。彼は私のトーナメント魂に火を点けてくれた恩人だが(参照:「12」ゴルフにまつわる悲喜こもごも II)、残念ながら週末しかクラブに来ない。

もう一人は、ブラジル・フォード社・元社長のロバート・ブッチャー(HC25)である。彼は、島の住民なので平日でもプレーできるが、120キロの巨体の持主で、猛烈な汗かきのために暑さに弱く、夏になるとハーフで息が上がってしまうので、年間を通じてのパートナーとしては、余り頼りにならない。

私は、イギリス人と付き合ったことはこれまでなかったが、同じ英語を話すアメリカ人とは大分様子が違う。アメリカ人はハンディキャップのやりとりには厳しく、成り振り構わず、1つでも多くのアドヴァンテージを得ようとするガメツさがある。それに比べてテリーは、ハンディキャップを貰うことをイサギ良しとしない。彼のハンディキャップは9なので、7の私とガチンコ勝負すれば明らかに分が悪いにも関わらず、2ストロークのハンディを拒否するのだ。どうもイギリス人はサムライに似て、誇り高い人種のようだ。武士道ならぬ、騎士道といったところだろうか。

120キロの巨体。ロバート・ブッチャー氏(HC25)アメリカ人

それでも、さすがに5ゲーム連続で負けた時から、とうとうハンディキャップを受け入れるようになった。彼とのバトルは、いつも白熱したものになる。勝負がつくのは常に17番か18番だ。平日の、貸切り状態の無人のコースで、二人だけの熱い戦いを繰り広げるのだ。

テリーとラウンドを重ねる効果が、最近とみに表れだした。ここ2,3年ドライバーの飛距離が年々10ヤードづつ短くなり(常に20~30ヤード、テリーの後塵を拝する)、同じ距離を打つアイアンの番手も、最近1,2番大きくなった。しかし、その割にはスコアーは以前とほとんど変わらない。その理由は、テリーとのプレーでは、アプローチとパットが勝負を分けるので、そこにより集中するようになり、以前より上達したせいかも知れない。

レンジで打つボールの数は極端に減ったが、今年まだ7試合残っているシニア・トーナメントの結果が、ますます楽しみになってきた。 (完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: (ル)ルーツの多様性 パーマリンク

(70)好敵手、現る! への4件のフィードバック

  1. shoji6 より:

    若い者にオーバードライブされても慌てることなく新兵器ユ-ティリティ-の特質と持ち前の老獪さ、おっと失礼!老練さを発揮して上がってなんぼで勝負やね-。ローハイドの主題歌をフランキー・レインばりに口ずさみながらラウンドしたらええよ、ローレン・ローレン・ローレン、・・・、・・・、・・・、ローハイド、とね。

  2. shoji6 より:

    ローハイドの歌の件、最後に”ピシッ”と自らを鞭打つのも忘れずに・・・。

    • mshoji より:

      エッ!自分を、鞭で打つのですか? 話は替わりますが、今読んでる本に、アドレナリンは麻薬のようなものだとゆうクダリがありました。病みつきになると、さらなる快感を求めて、もう止められないのだそうな..トーナメントが病みつきになるのは、そのせいですかね..

  3. P.Marquis より:

    私は今でも週に2.3回はテニスをしてますが、年齢の近い好敵手の友達が怪我、故障で次々と引退し、若い人のボールがすごく速く感じる様になり興味が薄れかかってましたが、コートのサーフェイスが最近、ハードから人工芝(オムニ)に変り球速が落ちラクになり、又新しく意欲が湧いて面白くなりました、こいつに勝つんだと勝手にに目標にし楽しんでます、テニスを始めた頃同じ初心者同士で朝から暗くなるまでライバル意識をもって戦った頃が懐かしいです、スポーツは楽しいものですお互いに長く楽しみたいものですね。

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