1990年に突然起こった「出稼ぎブーム」で、日本へ旅立った30万人の日系ブラジル人たちのために、日本でポルトガル語新聞を刊行することを思い立って、私は1992年にブラジルから帰国した。
ポ語新聞「ジャーナル・トゥードベン」の発行が軌道に乗り始めた1997年のある日、編集スタッフが私に、思いがけない提案を持ちかけてきた。
それは、ポルトガル語による月刊雑誌を発行して、日本の現実の姿を、本国のブラジル人たちに伝える、というものであった。
ブラジル人ジャーナリストたちからなる編集スタッフ6名は、全員が初めての来日であったが、折からのバブル景気で、繁栄を極めている日本の国と、伝統文化を守りながら、秩序と規律を重んじて働き、生活する日本国民の姿を目の当たりにし、大戦で壊滅した筈の小さな国が、わずか半世紀で世界第二の経済大国に成長した真の理由を、自らの目で見ることができたことに、ジャーナリストとして、大きな喜びを感じ、感銘したという。
その事実を、日本とは何かにつけて対照的で、発展途上にある国、ブラジルに伝えることが、ブラジル人ジャーナリストとしての使命であるというのが、彼らが提案してきた企画のコンセプトであった。
一人の日本人として、何とも嬉しい企画で、私は直ちに賛同の意を表したが、その反面で、ある危惧を感じた。それは、年間12冊も刊行して日本を語るとしたら、おそらく1、2年でネタ切れになるのではなかろうか、と思ったのだ。
ところが案に相違して、ポルトガル語による日本情報月刊雑誌「MADE IN JAPAN」は、13年間に亘ってネタ切れすることなく、日本とその文化を語り続けたのである。
その長命の原因は、スタッフが全てブラジル人たちであった、ということにあると思う。というのは、(私を含め)日本で生まれ育った日本人たちは、自国の有様が当然のことと思っているので、それが国の特徴や、すばらしさにつながっているという自覚がない。もし、編集スタッフが日本人たちであったとしたら、雑誌はおそらく2年も続かずに廃刊になっていただろう。外国人であればこそ可能な、日本の国のすばらしさを発見する視線が、雑誌の命を支えたのである。
ちなみに、私がブログで取り上げる題材は、その逆のケースで、ブラジル人たちから見ると何の変哲もない陳腐なテーマが、私が日本人であるからこそ、ブラジルの良さとして捕えることができるのだと思う。
日本情報雑誌は、予想以上にブラジル人たちの間で反響があった。特にブラジルに在住する150万人の日系人たちには広く読まれ、今まで伝えられることがなかった父母の国、日本に関するポルトガル語による最新情報に、日系人としての誇りと自尊心を、改めて感じた人たちが多くいた。
それがきっかけになって、ブラジル・サイドにも出版社を設立し、ジャパン・ブラジル・コミュニケーション(JBC出版社)と命名して、出版事業を通じて両国間の交流を目指すことをテーマに掲げ、日本文化に関する様々な書籍を発行するようになった。
料理、日本語会話、辞書、折り紙、日本昔話などを始め、芸者、サムライにまで及ぶ、数多くの本を出版・販売したが、売行きはどれも上々で、ブラジル人たちが如何に親日家であるかということが、改めて理解できた。中でも特に評判が良かったのは日本料理に関する本で、今でも我社のベストセラーになっている。
そんなJBC出版社が「マンガ」を扱うようになったのは2000年のことだ。
当時、日本に滞在していた私は、「マンガ」が子供たちだけではなく、大人も含めて日本人の生活に深く浸透していることを知って、「マンガ」は日本文化の一つではなかろうかと思ったのがきっかけであった。
私は「マンガ文化」をブラジルに広めようと思い立った。
出版業界の知人に、大手マンガ出版社である集英社を紹介してもらい、手始めに2タイトルのマンガのライセンスを取得してポルトガル語に翻訳し、ブラジル市場で発売した。
当時、ブラジルのコミック・マーケットといえば、北米のヒーローものコミック(バットマン、スーパーマン、スパイダーマンなど)が主流で、我社は、その読者層を如何にして切り崩していくかを目標に、真っ向から「マンガ」で市場に攻勢をかけた。ちなみに、最初に発売したタイトルは「サムライX(るろうに剣心)」だった。
それから10年を経た今日、日本の「マンガ」はすっかりブラジルで市民権を獲得し、北米コミックと読者を二分するまでに成長した。
折から、2008年には、ブラジル日本移民100周年を迎え、マスコミがこぞって大々的に取り上げたことによって、ブラジル国民の日本文化に対する興味はさらに高まり、JBC出版社の飛躍につながった。こうして私は、再び移民先駆者たちが100年をかけて、ブラジルに築いた基盤の恩恵に浴することになった。
それにつけても、人生には何が起こるか解らないものだ。自分では文化的な素養など極めて希薄な人間であると思っていた私が、「日本文化」をネタにして、ゴハンが食べられるようになるなどとは、マジで、夢にも思わなかった。 (完)