(59)1億総コーヒー中毒のブラジル

ブラジルでは、どこに行っても一杯のコーヒーがつきまとう

全人口の76%に当たる15才以上のブラジル人の内、97%(約1,4億人)がコーヒーを常飲している。
朝一番に飲む一杯のコーヒー、昼食夕食後のワンカップ、仕事の合間のコーヒーブレイクなど、ブラジル人の日常生活で、コーヒーほど重要な位置を占めている飲み物はない。
1億人以上が、コーヒー中毒にかかっている、といっても過言ではないかもしれない。
2010年のブラジルにおけるコーヒーの消費量は、過去45年間最高の1760万俵を記録した。これは北米の1900万俵に次いで世界第2位であるが、ブラジル・コーヒー院の予測によると、2012年には北米を越して世界最大のコーヒー消費国になるだろうという。そうなると、既に生産量と輸出量に於いては世界第1位なので、コーヒーに関する全ての部門で世界第1位になり、名実ともにコーヒー王国ということになる。
そもそもコーヒーの歴史は遠く9世紀に始まる。エチオピアが原産のコーヒーは、その後エジプトからヨーロッパを経由して、世界に広がっていったといわれている。

ほどよく炒られたコーヒー豆

16世紀になって、ペルシャで初めてコーヒーが炒られ、この飲み物が持つ、消化を促進し、気持ちを高揚させ、眠気を排除する、などの効用が広く知られるところとなり、1570年にはコンスタンチノープルで、世界初のコーヒー専門店がオープンした。
ヨーロッパにおけるコーヒー専門店の開店は、1652年のイギリスが最初で、次いでイタリアの店が追従した。1672年にパリでオープンしたコーヒー店で、初めて砂糖が添加されたことがキッカケになって、コーヒーは一躍世界中に嗜好者を増やしていったといわれている。
コーヒーは、オランダやイギリスの植民地を中心に栽培され、世界に広がっていったが、当時、ブラジルでは砂糖キビの栽培が主流で、農園主たちはコーヒー栽培には興味を示さなかった。
ブラジルにコーヒー栽培が導入されたのは1727年で、アマゾン河口の赤道直下に位置するパラー州が先鞭をつけたが、あいにく同地域は、気候的にコーヒー栽培には適していなかったので、栽培地域は次第に南下していった。
1850年になって辿り着いたリオ・デ・ジャネイロ地域で、気候との適応性が見出され、同地域は一躍ブラジルにおける、コーヒーの主産地となっていった。

収穫寸前のコーヒーの実

20世紀に入ると、リオ地区におけるコーヒー栽培の成功は、隣の、より広大な面積を有するサンパウロ州に転移し、大農場はこぞって砂糖キビ栽培からコーヒー栽培へと転換を図り、その結果、サンパウロ州はブラジル最大のコーヒー生産地となり、農場主たちに巨額の富をもたらした。
ブラジルでは元来、砂糖キビ・コーヒー栽培に要する人手は、アフリカから導入した黒人奴隷に依存してきたが、1888年の奴隷解放に伴い、その代替えとして導入されたヨーロッパからの移民に続いて、1908年には日本人移民が導入され、コーヒー農園に配属されていった。
今日、150万人といわれるブラジル在住の日系人コミュニティー100年の歴史は、初期移民のコーヒー農場における筆舌に尽くせない苦労を抜きにして語ることはできないほど、日本人移民とコーヒー栽培は、因果関係が深い(参照:「14」ブラジルに生きている明治の日本人)。

コーヒー栽培に最も適した、地理的・気象的条件は、昼と夜の温度差が大きいことで、亜熱帯に位置するブラジルは、日中の気温は高いが、海抜700~800mの高原が国土の大半を占めているので、夜間の気温が低く、コーヒーの栽培にはもってこいの条件を備えていたことが、今日のコーヒー王国になるに至った要因である。しかし、3世紀に亘って続いているコーヒー栽培地の分布図が、現在のブラジル中央高原地帯に集中するまでには、多くの紆余曲折があった。

コーヒーの木

コーヒー栽培の最大の敵は「霜」で、20世紀前半からその中心地であったサンパウロ州とパラナ州は、1918年と1975年の大霜で、壊滅的被害を蒙り、それ以降は降霜の可能性が低い、ミナス、ゴヤス、バイア、マットグロッソ州など、ブラジル中央部に位置する地域へと主産地が移行していった。
中でも年の半分は雨が降らないセラードと呼ばれる地域(参照:「52」ブラジル最大の穀倉地帯セラード)で、灌漑設備の導入によるコーヒー栽培は世紀の大ヒットといわれており、今日では、この地域でブラジルのコーヒー生産の50%を賄っている。
このようにして、ブラジルは世界総生産の35%にあたる、年間250万トンのコーヒーを生産するに至っている。

さて、ブラジル人の飲むコーヒーの量であるが、年間一人当たり4,81kg(81リットルに当たる)で、量的には5,86kgを消費するドイツに追従しているが、元来コーヒーの本場であるイタリア、フランスより消費が多い。1人当たりのコーヒー消費量が圧倒的に多いのは、北欧の国々で、フィンランド、ノルウエー、デンマークでは年間13kgを消費しており、かなり重症のコーヒー中毒にかかっているようだ。
ブラジルにおける伝統的なコーヒーの飲み方は濾過方式で、家庭でも、街角のバールと呼ばれるコーヒー立ち飲み屋でも、従来からこの方式によって、小さなカップで濃い目のコーヒーが飲まれていた。ブラジル人たちは、習慣的にコーヒーを飲むということ自体を生活に取り入れており、一般の人たちは、香りにこだわったりしてその品質をうんぬんする習慣は余りない。そのせいで、良質のコーヒーの大部分は輸出に回され、国内で消費されるコーヒーの大半は2級品であるといわれていた。
ところが最近、北米のスターバックスや、ネストレー系のネスプレッソ、ブラジル系のフランツなど、上質のコーヒーを座ってゆっくり味わう、カフェテリア(日本の喫茶店に当たる)と呼ばれるフランチャイズ制のコーヒー店が次々と現れて、エクスプレッソやカプチーノなど、ブラジル人たちは、従来とは異なり、品質にこだわる、新たなコーヒーの飲み方に馴染むようになったことが、国内消費の増加につながっているといわれている。
それでも、主流は今でも濾過方式で、例えばサンパウロ市では毎日2400万杯のコーヒーが飲まれているが、その内1900万杯は濾過方式で飲まれ、エクスプレッソなどの新スタイルで飲まれているのは、500万杯となっている。

私は、1902年から12年間日本に滞在し、日本式の、香りを楽しみながら味わう、薄めのコーヒーに慣れ親しんだ。それでも、ブラジルに帰るたびにまず立ち寄るのは、サンパウロ国際空港の到着出口正面にあるカフェテリアで、そこで飲む舌にガツンとくるようなエクスプレッソを飲むと、やっとブラジルに戻った気がしたものだ。

ブラジルでは、会社の訪問客に、先ずコップ一杯の水と、小さなカップでコーヒーを出すことが習慣になっている。この場合、どちらを先に飲むかが問題であるが、先ずコーヒーから飲む人は、コーヒー通とはいえない(日本人はその傾向がある)。先ず水を飲んで口の中をすすぎ、おもむろにコーヒーを味わうのが、「通」の人のプロセスである。

自宅に訪問客があった場合は、奥さんは早速コーヒーを濾過する作業にかかる。そして、
「出来たてのコーヒーをどうぞ。」
と、勧めるのが最高のもてなしである。

電話で友人と話をした後、
「近々、コーヒーを飲みに寄りなよ。」
と締めくくって、電話を切るのが、ブラジル式である。日本式なら、さしずめ、
「今度、一杯やろうよ。」
というところであろう。

街かどで、知り合いにバッタリ出会ったりすると、立ち話はせずに、必ず最寄りのバールと呼ばれるコービーの立ち飲み店に、どちらからともなく誘い、コーヒーを飲みながらよもやま話をするのも、ブラジル独特の習慣である。

朝食には、大き目のカップにミルクを混ぜて飲むが、昼食、夕食の食後には、小さなカップで飲んで、食事を締めくくる。この場合、コーヒーをブラックで飲むブラジル人は少ない。ブラジルで飲むコーヒーは日本や北米のものより数倍濃いこともあるが、砂糖を入れてこそ、コーヒーの持つ独特の味が引きだされることを、ブラジル人たちは知っているからに他ならない。それでも、昨今はダイエットを心がけている人たちが多く、砂糖の代わりに甘味料を入れる人が増えている。

その他のブラジル人がコーヒーを飲むケースを列記してみると;
-訪問先で勧められる。
-食後に必ず飲む。
-どんな職場にも、コーヒー・メーカーが備えられていて、従業員たちは仕事の合間にコーヒーブレイクで一息入れる。
-外出が多い営業マンたちは、次の訪問に先立って、必ずコーヒーを飲んで気を入れ直す。
-車で遠出をする人たちは、必ず1~2時間毎にサービスエリアやガゾリンポストに停車して、気分直しと眠気覚ましにコーヒーを飲む。
-煙草をより美味しく吸うために、コーヒーを先に飲む。

このように、ブラジル人の日常生活では、どこに居ても、何をしていても、コーヒーがつきまとうのである。  (完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: (き)気候が快適 パーマリンク

(59)1億総コーヒー中毒のブラジル への1件のフィードバック

  1. marquis より:

    イタリアもやはりブラジルと同じでまずバールで一杯のエスプレッソから始まりますし、会社に行くとまずエスプレッソがでます、アメリカは薄い番茶の様なコーヒー、イギリスは紅茶の国でコーヒーは不味かったが、両国とも25年程前からイタリア系のカフェが多くなりコーヒーも美味しくなりました。日本もコーヒー専門店では美味しいコーヒーを随分前から出していました、銀座の喫茶店カフェパウリスタ(サンパウロっ子?)は100周年を向かえました、初代社長は第一回ブラジル移民団長の水野龍氏で最初はサンパウロ州政府よりコーヒー普及の為無償供給された様です、現社長の長谷川勝彦氏はブラジル南東部にある農園から直接仕入れ現在も美味しいコーヒーを一杯498円で出しています、是非来日の折に訪れて見てください。

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