(52)ブラジル最大の穀倉地帯・セラード

黄線の囲みがセラード地帯。面積は日本の5、4倍

1974年、ブラジルのガイゼル大統領からの招待を受けて、初めてブラジルを訪れた日本の首相、田中角栄は、案内された広大なセラード地帯と、そこを穀倉地帯に変貌させるという壮大な計画に、すっかり魅せられてしまった。
セラード地帯は、ブラジル高原の中央部にあるサバンナ地域の総称で、面積は2,045,064km²(メキシコの面積に相当、日本の5,4倍)、ミナス、ゴヤス、バイア、トカンチンスなど9州にまたがって広がっており、首都ブラジリアもこの地域に含まれる。
海抜500~800mで、緩やかな起伏とともに広がる高原は、年間平均温度が25ºCで、一年を通じてトロピカル特有の、明るい太陽の光が燦燦と降り注ぐ。
この地域の特徴は、一年の内、6ヶ月は一滴の雨も降らない乾期があることで、そのため、従来から農業には適さないとされてきた。

とうとうと水を湛えるサンフランシスコ河

しかしその一方で、乾期に水が供給できる灌漑設備さえあれば、一大農業地帯に変貌する可能性があることも、古くから指摘されてきた。そのためには、セラード地帯の東部を南北に縦断して流れる水量豊かなサンフランシスコ河とその支流を活用する方法が考えられてきたが、そのためには莫大な資金が必要であった。
ガイゼル大領領が田中角栄首相を招待したのは、セラード開発計画に対する日本政府からの資金援助の可能性を打診するためであった。

東北の零細な農村出身の田中首相にとって、スケールの大きな近代農業は、日本の将来にも関係のある、一つの夢として彼の頭に潜在していたようで、壮大な計画に前向きの意向を示して帰国した。
そして1976年に、日伯セラード農業開発協力事業という名のもとに、国家プロジェクトとして閣議で認定され、総事業費684億円が拠出されることになった。具体的には、入植者717戸に融資して、35万ヘクタールの土地に、農地を造成して灌漑整備を導入し、近代農業を推進するというものであった。

それをきっかけに、セラードはブラジル最大の農業地帯へと変貌してゆく。
そして35年を経た今日、あの不毛とされていたサバンナ地帯が、ブラジルで生産される大豆の60%、コーヒーの59%、フェジョン(主食の豆)の45%、とうもろこしの44%を生産する一大農業地帯に大変身を遂げたのである。

実は、私の家内の実兄である禅院ミツルが、717戸の内の一員として、このプロジェクトに一役買った。パラナ州アサイ市出身のミツルは、同州のロンドリーナ市で診療所を持つ、眼科の開業医であった。

カチンガは、枝の曲がった背の低い潅木で覆われている

彼は医学生時代の最終学年に、卒業前恒例のブラジル東北地区への医療キャラバンに参加してセラードを訪れた際、その広大な土地に魅了されて、大農場主になる夢を抱いたという。
そんな彼は、卒業して開業医になるまで、着実にセレブな医者の道を歩み、顧客も安定して、学生時代に抱いた夢のことなど忘れかけていた。
ちょうどそんな時期に、日本政府の援助によるセラード開発プロジェクトが発表され、パラナ州でも入植希望者が募集された。
ミツルは忘れかけていた夢を思い出し、心が揺れた。そして、周囲の反対(特に両親の)を押し切り、医業を投げうってセラードにおける農業に転身することを決意した。彼の妻が、パラナ州で農場を経営する家庭の出身であったことも、彼が転職を決断した一因かも知れない。

ミツルは、診療所を売却した資金と、日本政府の融資を元手に、トッカンチンス州境に近いバイヤ州の奥地に、2千500ヘクタール(5km x 5km)の土地を手に入れ、妻と二人で、夢の実現に向ってスタートを切った。

半年間は一滴の雨も降らないセラードは、乾期を生き延びた、枝が彎曲した背の低い潅木に覆われている。カチンガと呼ばれるその地域は、開拓が始まるまでは、1500種の動物、830種の鳥類および1000種に及ぶ蝶たちが主な住民であった。

ミツルが手に入れた土地は、そんなカチンガで、サンフランシスコ河の支流が流れ込んでおり、それが農場の生命線であった。その水を利用した灌漑設備を設置することから、農場経営がスタートした。

灌漑設備ピヴォー。500mのアームがグルリと回ってシャワーの雨を降らせる。

セラードにおける灌漑設備の主流は、ピヴォーと呼ばれる、長さ500mの巨大なアームに、無数のシャワーをぶら下げ、50m毎に取り付けられた車輪を動かしてグルリと回し、半径500mの大円内に水を撒く仕組みだ。これ一基で、78ヘクタールの土地に乾期でも水を供給することができる。しかし、ミツルの手持ち資金ではピヴォーは三基しか装備することができなかった。三基を合計しても農場の一割に当たる面積しかカバーできない。まだ電気は引かれていないので、ジーゼル・オイルを燃やしてトラックに使うエンジンを稼動させ、川から水を吸い上げて、ピヴォーを作動させていた。
このように灌漑設備でカバーされる農地面積は限られており、しかも設備を維持するコストは高いので、余程効率の良い作物を選択して植えなければ採算が合わない。最初から、ミツルは農場経営者としての真価を問われることになった。

私が妻と共に、初めてミツルの農場を訪れたのは、1995年のことであった。そこで我々が出会ったのは、セレブなドクターの面影は既になく、真っ黒に日焼けした、農夫そのものの義兄の姿であった。

カチンガに咲く、紫イペー(国花)の花

サンパウロからブラジリアに飛び、そこからさらに奥地に向うフライトに乗り換えて、合計3時間半でバレイラス市に着く。空港でレンタカーをチャーターして、250km先のミモーザ市にある農場に向う。道路は、空港から約10kmまでは、いくつかカーブがあるが、ひとたび直線に入ると、なだらかな起伏のある高原を真っ二つに引き裂いて、何処までも何処までもただ真っ直ぐに続いている。
道路の両側には所々に開拓された農場があるが、大部分はまだ潅木がまばらのカチンガだ。
あちこちに、あざやかなピンク色と、輝くような黄色の花をつけた、ひと際高い木々が見える。いずれもブラジルの国花、イペーの木だ。

黄色の花が咲くイペー

車は、ミモーザの町までの175kmを、2時間近くハンドルを固定したまま、一つのカーブも切ることなしに走り抜いた。ミモーザからは、町の郊外をゆるやかなカーブで通過した後、再び直線に入って75km走った後に、右折してミツルの農場に到着した。

農場の地形はほぼ平坦で、所有地の境界線は、前後左右の地平線からさらに1km先にあるということであったが、その広大さを目の当たりにして、ミツルが夢を抱いた気持ちが解かるような気がした。
ところが、2500ヘクタールクラスの農場は、この地域では最小規模に属するらしく、大農場といわれる農場は、優に3万、4万ヘクタールはあるとのことで、灌漑設備ピヴォーを、50基、100基と備えている農場はザラらしく、私は、セラードでは想像を絶する大規模な農業が行われていることを、改めて知ることになった。

空から見たセラードの農場。ピヴォーが描く一つの円の直径は1キロ。

それから私は、数回に亘って義兄の農場を訪れたが、2回目からは定期便フライトではなく、ブラジリア空港から小型機セスナをチャーターし、約2時間のフライトでミツルの農場内に設置された滑走路に直接舞い降りるルートをもっぱら利用した(セラードの農場では、飛行機で種を撒き、肥料を散布するので、どこでも滑走路を備えている)。

空から見下ろすセラード地帯は、行くたびに灌漑設備ピヴォーが描く緑の円形の数が増えており、開発が着々と進んでいることが実感できた。

義兄ミツルの農場には既に電気が引かれ、小規模ながらコーヒー、パパイアなどをピヴォーのある灌漑農地で栽培し、その他の場所では雨季と乾期の間を利用して綿花の栽培に当てたりして、自らが選択した夢の実現のために、四苦八苦しながらも、懸命に奮闘している。

プロジェクトの開始から35年が経過し、ブラジルの国策として次々と大規模な投資が行われたセラード地域は、全面積の68%にあたる、1、390,000km²が既に農地として活用され、セラードは農業国ブラジルの、押しも押されもせぬ中心地として堂々と君臨し、この国の経済成長に大きく貢献している。 

さて、セラード開発の呼び水になった、日伯セラード農業開発協力事業は、2000年で一応終了したことになっており、折角の壮大なプロジェクトは、その後、尻すぼみの状態になっている。今の日本政府は、国内問題に窮々としていて、ブラジルのプロジェクトにまで目をやる余裕がないのか、はたまた(田中角栄のように)日本の将来を大局的に考える指導者が不在なのかは定かではないが、いずれにせよ、極めて残念なことだ。
それにしても、私には日本政府はブラジルとの関係を軽視しているように思えてならない。
ブラジル政府が中心になって盛り上げた2008年の日本移民100周年のセレモニーに、外務副大臣と称する名前を聞いたこともない人物を派遣したり、2011年始の新大統領就任式に、野党の麻生太郎元首相を参列させたり(米国はクリントン国務長官が出席)どう見ても、ブラジルとの関係を重要視しているとは思えない。
日本は今、アジア・太平洋地域経済協定で議論されている関税の撤廃にともない、将来、農産物は外国からの輸入にほぼ全面的に頼らざるを得なくなり、今以上に工業に活路を見い出さねばならないことになるだろう。そのためにも、資源国であり、農業国であるブラジルとの関係をより親密にし、太いパイプを構築することは、国策として推進するだけの価値があるのではないだろうか。  (完) 

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: (き)気候が快適, (す)スケールが大きい パーマリンク

(52)ブラジル最大の穀倉地帯・セラード への5件のフィードバック

  1. shoji6 より:

    日本の現体制(民主党)は最早末期的症状で支持率は21%(14日現在)まで下落しました。おっしゃる通り国際的にも可なり揶揄されていますが、一番怒っているのは国民です。一年半前に同党に投票した大半の国民も今や反省大でしょうが、まだ一部は照れ隠しに支持しているもののすでに諦めざるを得ない状況です。自民党が取って代わればTPPよりFTAをブラジルと協定してブラジル大豆コーヒー農家にも喜んで貰える日が来ると確信しています。もうちょっとお待ちください。アサイの大豆豊作とのこと、高値を維持していてよかったですね。

  2. mshoji より:

    日本は、GDPで遂に中国に追い越され、世界第二位の座を失ったようですね。2030年には、ブラジルにも抜かれると予想されているようですが..農業に関しては、信頼できる国とシッカリ提携し、工業に的を絞ってさらなる飛躍をめざす、というのが日本の今後の筋書きのような気がしますが。モタモタしている場合ではないのでは..

  3. 晴れ。 より:

    私は開高氏のオーパを読んでいらいブラジルのすべてがオーパなのに魅了されて以来ブラジルファンになりました。しかしブラジルに関する情報は世界ビックリニュース的な不真面目な物が多く閉口しておりましたが、幸運にも貴方のリアルなブラジル情報ブログに出会いファンになりました。
    義理兄様と角栄首相のお話には心踊り胸が熱くなりました。今の日本人はどうかしています、政府にばかり期待して不平ばかり言っています。政府がすべき事は未来を見据えたプロゼクトを始める事です。日本列島改造論を読めば瀬戸大橋は角栄さんの計画です。あの橋を見るとき角栄元首相を思い出す人はいるのでしょうか、悲しいことに角栄氏は悪人扱いです。
    原則ばかりにこだわり一歩踏み出せない日本のマスコミや官僚たちが日本を支配しています。しかし経営者たちはちがいます、我々は夢を追う人種です。フロンティア精神を温めているのです。私だってもう少し若かったらと胸踊らせました。いつまでもこのブログが続きますように期待している人々がいることをお伝えしたくて書き込みました。更新期待しています。

  4. mshoji より:

    ”晴れ”さん
    コメントをありがとうございました。
    単なる見聞ではなく、自分の体験を通じた、汗と涙の混じった..かといって暗い体験ではなく、ブラジルに長く住んでいる日本人らしく、明るく、ダイナミックに、ブラジルについて伝えたいと思っています。

  5. vdityv より:

    ところで素晴らしい記事、私は国際空港インドネシア近く土地を売却 追加に感謝

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