(50)北半球のブラジル、最果ての町ボア・ヴィスタ

インカ民族はスペイン人フランシスコ・ピサロによって滅ぼされた


日本で、在日ブラジル人たちを対象にした、ポルトガル語新聞の発行に携わっていた頃(1992~2005年)のある日、東京・文京区のわが社を、一人のブラジル人考古学者が訪ねて来た。
彼の目的は、南米の先住民(通称インジオ)のルーツは、4万年前にベーリング海峡を経由して、北米大陸に渡ったアジア民族の一部が、さらに1万2千年前にパナマ経由で南米に辿り着いたものであるという自らの学説と、1533年にスペイン人フランシスコ・ピサロによって滅ぼされたインカ帝国の財宝が、逃亡したインカ人たちによって、ブラジル圏内のアマゾン河流域に運ばれ、密林の奥深くに埋蔵されて今も眠っているという学説(仮説)を著わした本を、日本語で発行したいというものであった。

私は、面白い内容だと思ったが、分野が違うので、親しくしていたK出版社のS社長に相談したところ、彼は、インジオのルーツの方より、インカの埋蔵金説の方に興味を示し、その学説の根拠になっている場所を、実地検分してみようということになった。
考古学者とは、現地で落ち合うことになり、場所はローライマ州のボア・ヴィスタ市と定め、日時を打ち合わせた。

ローライマ州は、ブラジルが北半球に有する二つの州の一つで、北はヴェネズエラ、東はギアナと国境をなし、南にパラー州とアマゾン州が隣接している。面積は224,3km²でルーマニアとほぼ同じくらいであるが、その72%はアマゾン熱帯雨林が占めている。ボア・ヴィスタ市は、北半球にある唯一の州都で、サンパウロからだと4756km(大阪とシンガポール間の距離)の場所にある。
私は、ブラジルに永く住んでいながら、それまでこの国が北半球にも領土を有しているという認識がなかったので、初めて最果ての町を訪ねる旅行に、期待感が高まった。

ブラジルに飛来したS社長と、サンパウロで合流し、我々はボア・ヴィスタに向かった。早朝にサンパウロ・グゥアルーリョス空港から飛立った飛行機は、途中でブラジリア空港におけるワンストップを含め、6時間半を費やして、夕刻にようやくボア・ヴィスタ市のメジシ空港に着陸した。長時間のフライトに、S氏は「国内旅行とは思えない」と、改めてブラジルの国土の広さに驚いた様子だった。
空港で出迎えてくれた考古学者の運転するジープで、我々はボア・ヴィスタ市内に向かった。

北の最果ての町ボア・ヴィスタ

ブラジル最北の町、ボア・ヴィスタ市は、元々18世紀に金の発掘で栄えた町であるが、1943年にアマゾン州よりローライマ州が独立した時に州都となり、その機会にパリを模倣して、広場を中心に放射線状に街路が広がる設計で、新たな町造りが成された。
アマゾン地域では、主流アマゾン河に次ぐ大河、ネグロ河の支流であるブランコ河が、1キロもある川幅一杯に、とうとうと水を湛えて町の東部をゆったりと流れている。
町外れにある小高い山の斜面は、地層が剥き出しになっており、いくつもの断層がくっきりと表れている。考古学者によると、数万年前まではこのあたりは水の底に沈んでいた証、とのことである。

翌日は、いよいよインカの埋蔵金があるとされる場所を検分することになった。
考古学者によると、インカ帝国滅亡の際、かなり多数の逃亡者たちが、アマゾン河の源流であるウルバンバ川に沿って北上し、ブラジル圏内のアマゾン河流域に住み着いたという。彼らは密林の奥深くに潜んで隠遁生活をしていたといわれるが、同地区の原住民であるインジオたちによって、自分たちより肌の色が白いインジオたちを見たという話が、ひんぱんに囁かれていたという。
ピサロに囚われた、時のインカ皇帝アタワルパは、解放の代償に、一部屋を金銀で一杯にして差し出したと言われているが、尚且つ逃亡者たちが密かに運び出した財宝は、かなりの量であったらしく、考古学者によると、その隠し場所は、二つの川が成す三角地帯であるという記述のある物が発見されたという。
彼はそれに記されたものと極めて似通った場所を、空中からの探索で見つけたが、陸路または水路からのアクセスは不可能であるため、未だに手付かずの状態であるという。
その場所を、セスナ機で上空から検分するというのが、今回の旅行の目的であった。

アマゾンの上空を飛行したセスナ機


ボア・ヴィスタのメジシ空港から飛立った単発の4人乗りセスナ機は、一時間ほどで、アマゾン熱帯雨林の奥深く、100メートル級の大木がびっしりと生い茂っているジャングルの上空に差し掛かった。そこから、セスナは三角地帯に向かって、大木群の木立ちをスレスレにかすめて、低空飛行に入った。
S社長と私は、眼下に広がる、前人未踏の神秘的な深い緑色の魔境を目の当たりにして、改めてアマゾンの熱帯雨林の凄さに圧倒され、言葉を飲み込んだままで、セスナの座席にしがみつき、食い入るように窓の外を見つめていた。

迂回して流れるアマゾン熱帯雨林の川


ジャングルの奥深く、川がうねって流れている。密林上空からさらに下降し、川面に沿って低空飛行を開始したセスナは、ようやくお目当ての三角地帯の上空に辿り着いた。
しかし、考古学者がその場所を指差した時には、私は小型機の揺れと、木立と川面スレスレに飛ぶ恐怖感に加え、ジャングルの吸い込まれそうな深い緑色に幻惑されて、不覚にも完全にグロッキー状態になってしまっていた。

高さ100m級の大木がビッシリ繁るアマゾン地帯


三角地帯の上空を迂回するセスナの窓から、チラッとそれを見るのが精一杯で、あとは学者の説明をおぼろげに耳にしながら、目を閉じて嘔吐感と懸命に戦っていた。
それでも、S氏は気丈に頑張って学者による説明の一部始終を聞きとめたようで、間もなくセスナは上昇を始め、帰路のフライトに移った。
二時間後に小型機はメジシ飛行場に着陸し、考古学者と別れた我々は、そのままホテルに戻り、私は体調回復のためにベッドに直行した。
数時間の休憩の後に、なんとか人心地がついた私は、S社長と夕食を共にしながら、その日のことについて話し合った。
乗り物酔いする私と違って、セスナ機のジェットコースターまがいのフライトにも、結構平気だったS氏は、食欲も旺盛で、カイピリーニャ(地酒ピンガのカクテル)を片手に、彼なりにまとめた埋蔵金ストーリーの感想を話してくれた。
結論としては、例の三角地帯を、誰かが発掘して確かめた訳ではないので、話は極めて不確かで、仮説の域をでないということで、本の出版は見送る意向のようであった。それでもS社長は、北半球にあるブラジル最果ての町の訪問と、緑の魔境アマゾンのジャングル上空迂回飛行は、すばらしい体験になったといって、至極満足してボア・ヴィスタを後にしたが、私にとっては少々ほろ苦い旅になった。  (完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: その他、色々, (す)スケールが大きい パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中