(47)カリオッカ(リオっ子)たちの別荘地、アングラ・ドス・レイス

イーリャ・グランデ湾とアングラ・ドス・レイスの略図。湾の左奥にパラチ市が在る

湾内に浮かぶ大小の島々の数は365、白砂の海浜は2000ヶ所に及ぶ。圧巻は、透明度が抜群に高い、澄み切った海で、水深30メートルの海底に散らばっているヒトデが、手を伸ばせば届きそうなくらい、近くに見える。おまけに、沖に横たわるイーリャ・グランデ島が大西洋の荒波を遮っているので、湾内はほとんど波がなく、水面はまるでプールのように穏やかだ。
私が、その場所を知ったのは、ほとんど偶然だった。

1970年代の第一次ブラジル経済成長期に、日本から300社を超える企業が進出して来た。駐在員とその家族の数は3000人を越え、平均3年はブラジルに滞在した。
私は、彼らを対象に、国内ツアー専門の旅行社を開設し、連休や年末年始に、ブラジル国内と近隣国の観光名所にパッケージ・ツアーを企画して、参加者を募った。
客は集まったが、問題は、連休が年間でも数える程しかないことで、一年を通じて売上げを確保するためには、毎週末に定期ツアーを出す必要があった。
金曜日の夕方にバスで出発して、日曜日の夜にサンパウロに戻るツアーとなると、距離的にはせいぜい400km以内ということになる。その範囲内で魅力的なツアーを出せる場所を物色していたところ、ある業界紙に掲載されていた一つの広告が、偶然、私の目に留まった。
それは、大型ヨットで周遊し、船に2泊するツアーのものであったが、場所は、リオ州のアングラ・ドス・レイスという、余り耳に馴染みのない場所であった。
私は、その内容に興味を持ち、早速、アシスタントと共に、現地調査に出かけることにした。

ヅットラ街道(別名リオ街道)をリオ・デ・ジャネイロに向かって、311km走ると、バハ・マンサの街に着く(私が1966年に、車が横転する大事故を起こした場所だ)。そこから右折して海岸山脈を海に向かって下る街道に入る。道幅が狭く、急カーブ連続の道路を90km下ると、突然目の前に海が開ける。さらに海岸沿いに西へ7km進むと、アングラ・ドス・レイスの街に到着する。
大型バスだと、バハ・マンサまで4時間、海岸山脈を下る道は2時間で、合計約6時間の距離だ。週末ツアーにはギリギリの距離だ。
アングラ・ドス・レイスは、なんの変哲もないひなびた港町で、岸壁には無数の小さな漁船が繋がれている。
岸壁から湾に向かって、長い桟橋が伸びており、その先端に帆を降ろした2本マストの大型ヨットが、横付けされているのが見える。
私たちを待機してくれていた、アントニオという30才位の若い船長の案内で、早速、帆船「クルズマール号」の甲板に上がる。全長35mの船は、想像していたよりずっと大きく感じられる。船尾から船倉につながる狭い階段を降りると、同じ幅の廊下が真っ直ぐ船首に向かって伸びており、その両側にそれぞれ6個のキャビンが並んでいる。室内は3x3mくらいでやや狭いが、ベッドが二つあり、トイレは隣のキャビンと共同になっている。定員は24名だ。
船体は全て木製で、映画に出てくる中世期の海賊船のようなイメージで、雰囲気がとてもクラシックだ。
「ひょっとしたら、この船は日本人客に受けるかもしれない」ふと、そんな気がした。
船長は我々のために、試乗航海をしてくれることになった。

船は、帆を降ろしたままで、エンジンを作動させ、静かに岸壁を離れてイーリャ・グランデ湾に、滑り出していった。
ほんの100メートルほど進むと、海水はもう透き通ったエメラルド色だ。波は静かで、揺れはほとんどない。前方には大小の島々が点在している。

「クルズマール号」の甲板から島の砂浜を望む

船は、一つの島に近づいた。アントニオ船長によると、湾内では最大のジポイア島とのことだ。
「クルズマール号」は、海浜から30メートル位のところに錨を降ろし、我々はゴムボートに乗り換えて島に向かった。
帆船から島までの間の海は、見事に澄み切っており、色とりどりの大小の魚が船べりの水中を横切ってゆく。
ボートは、真っ白な砂浜に船首を乗り上げた。砂浜には、小さな波がヒタヒタと寄せているが、海面はプールのように静かで、しかも遠浅である。これなら子供たちの水泳に最適だ。砂浜の奥は、低い潅木の林があって、涼しげな陰を作っている。
アシスタント(女性)が、突然悲鳴をあげた。渚に何かを見つけたようだ。駆け寄って見ると30センチくらいのナマコであった。ブラジルではナマコを食べる習慣がないので、彼女は始めて見る、余りエレガントとは云えないその生物に驚いたようだ。

水深30メートルが見透せるカタグアス湾

次に停泊したカタグアス湾では、海底にヒトデがたくさん見える。アントニオ船長によると水深30メートルということであるが、私にはせいぜい5メートル位にしか見えない。船長にそうコメントすると、彼は早速水夫を呼び、何事か指示をした。水夫は、5m近くある船べりからザブンと海に飛び込み、海底に向かって一直線に潜りだした。ところが行けども行けどもヒトデまで到着しない。約30秒かけて、水夫はやっと海底のヒトデを掴み上げ、そのまま一気に昇って水面から顔を出し、フーッと大きく息をついた。
甲板からだと10センチそこそこに見えたヒトデは、一辺が優に30センチはある大きなものだった。私は、水深30メートルに充分納得し、改めて海水の透明度に感銘を受けた。

一時間ほど湾内を周遊して、試乗は終わったが、大小の島々が365あるというイーリャ・グランデ湾の絶景と、澄み切った海、そして何より、波が静かでほとんど船が揺れないことに(私は船酔いするタチである)、私は大いに満足し、これから企画して発売する、週末ツアーに期待が膨らんだ。同地域の気温は、最高は28~35ºC、最低は18~21ºC、年間平均は24ºCで、ヨット・ツアーは年間を通じて出すことも可能だ。

サンパウロに着くと、船主のエイジェントと交渉をし、その後一年間、全ての週末に「クルズマール号」をチャーターする契約を交わした。

第一回目のツアーが出発する日が来た。24名の乗客と共に、金曜日の夕刻6時に、バスでサンパウロを出発し、夜半にアングラ・ドス・レイスに着いた。そのまま桟橋から「クルズマール号」に乗船する。甲板では、白いセーラー服と、キャップに身を固めた、アントニオ船長と6名の乗組員が、整列して笑顔で出迎える。
その日は、そのまま就寝となり、翌朝、乗客が目覚めるころには、帆船はすでに海上を航行していた。

アングラの透き通った青い海と、美しい島々

ジポイア島に錨を降ろす頃になって、三々五々、甲板に現れた乗客たちは、先ず海の透明度の高さに感嘆の声をあげる。
甲板で朝食を取ったあと、島に渡って、家族で海水浴を楽しみ、元気のある若いパパたちは、水上スキーに挑戦したりして、午前中を過ごした。
午後は、カタグアス湾だ。さらに透明度を増した海に、誰もが驚きの表情を隠さず、水深30メートルにヒトデが群がる海底を覗き込む。
ボートで島に渡り、岩場でウニ狩りをする。ブラジル人はウニを採らないので、岩の隙間には、黒いイガ栗のようなウニが、足の踏み場もないくらいウヨウヨ挟まっている。ウニの棘には毒があるので要注意と、船員が喚起する。人々はウニを割り、そのまま海水で塩味の効いたオレンジ色の中味を口に運ぶ。初めての体験に、彼らの顔に笑顔が広がる。
船はそのまま、湾の奥まった水域に錨を降ろし、停泊して夜を迎えることになった。

夕暮れ迫るアングラの海にたたずむ帆船「クルズマール号」

夕食が終わると、船員たちが船べりからいくつかの裸電球を、水面すれすれまで垂らす。太刀魚の夜釣りの用意だ。それぞれが、船員から、大きな釣り針の付いた、太い釣り糸の束を受け取る。餌は肉片だ。海面を見ると、電球の明かりの周りに太刀魚がゆっくりと泳いでいるのが見える。
さあ、夜釣りの始まりだ。
貪欲な太刀魚は、人々が垂れる釣り糸が、海面に届くのを待ちかねたように肉片に食らいつく。もう、入れ食い状態だ。
その名の通り、太刀のように見事な銀色に輝く、1~2メートルの細長い魚が、次々と甲板に上がって身体をくねらせる。太刀魚の歯は鋭く、油断すると指を落としかねないので、船員たちが総出で、ペンチを片手に針から魚をはずして回る。
街の魚屋さんで、色あせた太刀魚しか見たことがない人々は、
「ウワーッ、きれい!」
「タチウオって、こんな銀色をしていたのーっ」と、大人も子供も、大はしゃぎだ。
その日は、2時間くらいで「クルズマール号」の広い甲板が、銀色のカーペットを敷いたように、並べられた太刀魚で埋まってしまうくらいの大漁であった。

19世紀に金の積出港として栄えた、古都パラチ

翌日は、日の出と共に出港し、アングラ・ドス・レイスから西方98km、湾の奥にあるパラチの街に向かった。
パラチ市は、18世紀に、鉱産物の宝庫であるミナス・ジェライス州で採掘された金や宝石類を、本国ポルトガルに積み出す重要な役割を果たして、栄えた港町である。今も当時の家屋や教会のある町並みは、ほぼそのまま保存されており、重要文化財に指定されている。
海辺のすぐ近くから始まる、海抜ゼロのパラチの街は、満潮時になると街路に海水が流れ込み、街はヴェニスを思わせるような景観になることでも有名である。
パラチに向う航海では、マストに帆が掲げられ、風を一杯に受けて帆を膨らませた、エレガントで古風豊かな帆船が、滑らかに海上を走行する姿に、起きだして甲板に現れた乗客たちは、驚きと喜びの歓声をあげる。
進路を西にとった「クルズマール号」が、沖に浮かぶイーリャ・グランデ島に遮られ、波静かだった海域を出ると、外洋の影響を受けて、わずかであるが、船にピッチングとローリングの揺れが加わる。3時間の航海で、パラチの沖合に到着する。ゴムボートを往復させて、全員が上陸し、古都の見学をする。
パラチ訪問を終えて、人々が船に戻ったらちょうど昼食の時間だ。メニューは、昨夜自分たちが釣上げた、太刀魚の空揚げだ。肉厚の太刀魚をぶつ切りにして、素朴に揚げた料理に、乗客たちは舌鼓を打ち、大人たちは、うまそうにビールを喉に流し込む。
昼食後、船はアングラの港に向う。午後4時に下船し、バスに乗り換えて、アングラ・ドス・レイスの街に別れを告げた。
夜の10時にサンパウロに着いた乗客たちは、強行軍で疲れた顔の中にも、満足感が漂っているのが見て取れ、私は、企画に確かな手ごたえを感じた。
「アングラの風景は、宮城県にある日本三景の一つ、松島湾のスケールを数倍大きくしたようで、本当にすばらしい」と、一人の東北出身という乗客が、コメントされていたのを耳にして、私はヨット・ツアーに対する自信を深め、それから1年間に亘って、週末の定番ツアーとして乗客を募り、ツアーを実施した。そして、多くの駐在員とその家族に、多大な海の感動をもたらすことができた。

そのアングラ・ドス・レイスは、その後、大きく様変わりした。
それは、1973年になってリオ・デ・ジャネイロとサントスの間を、海岸線に沿って走る国道101号線(通称リオ/サントス街道)が開通したからである。そのせいでアクセスが飛躍的に良くなり、リオ・デ・ジャネイロからわずか155kmで到着し、サンパウロからだと、従来のバハ・マンサ市より130km手前の、グアラチンゲター市でヅットラ街道から右折して海岸山脈をパラチに向かって下り、そこからリオ/サントス街道を東に98km走ると、以前より約50km短縮されて、アングラ・ドス・レイスに着く。
サンパウロ州在住で、アングラにセカンド・ハウスを持っている人たちも結構多いが、距離的にずっと近いリオ・デ・ジャネイロに住んでいる人たちの別荘が圧倒的に多い。
もともとリオは、「魅惑の街」と呼ばれ、風景に恵まれていて、美しい海浜も多い街なので、その住民たちが海辺にセカンド・ハウスを持つとすれば、必然的に、リオよりさらに景色が良く、より美しい砂浜と海のある場所ということになる。
アングラ・ドス・レイスは、そのいずれの条件をも充分に満たして、余りある場所である。
リオ在住の、著名な政治家、実業家、芸能人、有名サッカー選手など、セレブな人たちが、こぞってアングラに別荘を構える。
F1レーサー、故アイルトン・セーナもセカンド・ハウスをアングラに設け、生前はイーリャ・グランデ湾の青い海をこよなく愛し、過酷なレースによって溜まったストレスを癒したという。
また、年末年始をアングラで過ごすことを恒例にしている。元サッカー日本代表監督のジーコは「私は世界をあちこち歩き回ったが、アングラと同じように美しい場所は、他に一ヵ所しか知らない。それはイタリアのサルデーニャ海岸だ」と語っている。、

海辺の別荘には桟橋がついている


一口に別荘と言ってもピンからキリまであるが、アングラにあるセカンド・ハウスのほとんどは、海辺に建てられており、海と家が一体になっていて、それぞれ車庫ならぬ船庫と桟橋を備え、ヨットやクルーザーでそのまま海に出られるようになっているものが多い。

リオ/サントス街道が完成してから、ゴルフ場を併設したリゾート・ホテルがオープンし、観光客の数も増えて、昔に比べて、アングラ・ドス・レイスを囲む環境は、随分と賑やかになった。

それでも、イーリャ・グランデ湾に浮かぶ大小の島々がもたらす絶景と、無数の白い砂浜と澄みきった青い海のコンビネーションは、以前と全く変わらず、今も、訪れる人々を魅了している。

ただ一つ、変わったことを挙げるとすれば、帆船「クルズマール号」が老朽化し、数年前に廃船になって、アングラの海から姿を消したことであろうか。その替わりに、港に待機している釣り船の数が増え、チャーターすれば、お好みの島々や、白い砂浜と青い海に、いつでもエスコートしてくれる。  (完)                     

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: (き)気候が快適, (す)スケールが大きい パーマリンク

(47)カリオッカ(リオっ子)たちの別荘地、アングラ・ドス・レイス への2件のフィードバック

  1. shoji6 より:

    Fernando de Noronha,Recife, Salvadorに続き今回のAngra dos Reisは寒い日本の冬をやり過ごす隠れ避寒所の候補の一つに加わりました。長生きするだろうなぁ、こんなところでFérias(Vacation)を楽しめば・・・。

  2. mshoji より:

    リタイアーしたら、グアルジャー島に住むことは、私の希望でしたが、アングラ・ドス・レイスにゴルフ場がオープンしたことで、一時は予定を変更して、アングラに住むことも考えたくらい、海のすばらしい所です。結局、100%リタイアーという訳にいかず、アングラは、会社のあるサンパウロから遠過ぎるということで、グアルジャーに落ち着いたという、経緯がありました。

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