(45)ブラジリアン・ドリームとセレブな男たち

サンパウロ州の地図と道路網

ブラジル経済の70%を支えているといわれるサンパウロ州の面積は、248,209km²で、日本の本州とほぼ同じくらいである。州都のサンパウロ市を中心に、商・工・農のいずれの部門においても断トツの生産性を誇っている州で、必然的に、ブラジル人口の16%を占めているといわれる、中産階級の人たちが最も多く住んでいる州でもある。
サンパウロ州の玄関口は、ブラジル最大の港があるサントス市で、そこから2本の高速道路がサンパウロ市を結び、それからさらに6本の高速道路が放射線状に、州の奥地へと広がっている。
地形的には、大西洋の海岸線からすぐに海抜800mまで海岸山脈がせり上がり、ブラジル高地となって、そのままなだらかに起伏をなして奥地に広がっている。

山に住んでいる人たちは、誰しも海に憧れる。サンパウロ州に住んでいる中産階級の人たちにとって、海浜にセカンド・ハウスを持つことは、共通の夢であり、ステイタスの象徴でもある。長方形をしたサンパウロ州が、大西洋に面している部分の距離は、620kmであるが、険しい海岸山脈のために、道路が敷かれていてアクセスが可能な海浜地帯は、4地域に限られている。
南部のカナネイア、イグアッペ海岸、中央部サントス海浜地帯のペルイーベ、プライア・グランデ、サン・ヴィセンテ、サントス、グアルジャー島、中央東部のベルチオーガ、リビエイラ・デ・サン・ロレンソ、北部のウバツーバ、カラガタツーバ、イーリャ・ベーラなどが、主なアクセス可能な海浜である。
その内、中央部のサントス海浜地帯は、大都市サンパウロから80キロと、距離的に最も近いために、同市在住の中産階級の人たちが、こぞってセカンド・ハウスを構える地域である。
中でも、グアルジャー島は面積に限りがあり、戸数にも限度があるため、不動産は割高で、島内にセカンド・ハウスを所有する人たちは、かなり裕福な人たちであるといえる。

創設50年のグアルジャー・ゴルフクラブ

私がメンバーになっているグアルジャー・ゴルフクラブの会員は100名いるが、島に住んでいるのは、私を含めて3名だけで、それ以外の会員たちは全て、島内にセカンド・ハウスを所有している人たちである。彼らは、サンパウロまたは州内の他市にあるゴルフクラブの会員にもなっていて、グアルジャーGCは、いわばセカンド・コースで、週末や連休に島を訪れたときにプレーするだけのために会員になっているという、いわば、セレブ中のセレブとでもいうべき人たちである。
彼らは、島には住んでいないので、平日にゴルフ場に来ることはないが、週末でもプレーする人数はせいぜい30名ほどである。会員たちは(一部の数名を除いて)特定のメンバー同志でプレーするわけではなく、好きな時間にフラッと来ては、その時に居合わせたメンバーたちと、声を掛け合ってティーアップする。不特定多数に、誰とでも気軽に話をしながらプレーするので、お互いにどんなメンバーが居て、何をしている人たちであるかが、自然に解る。

私が、日本でまだ高校生だった頃、「アメリカン・ドリーム」という言葉をよく耳にした。アメリカという国は、どこの国よりも夢を実現する可能性が高い国である、という意味だと理解し、憧れをいだいたものだ。
そんな私は、アメリカではなく、たまたまブラジルに来てしまったが、グアルジャーGCのメンバーたちと話をしていると、この国は正に「ブラジリアン・ドリーム」という言葉がピッタリの国であると、マジで思う。彼らの中に、親から遺産を引き継いでリッチな生活をしているという人は一人も見当たらない。ほとんどの人が、一代で今の地位を築き上げた人たちばかりだ。従って、正会員に若者は一人もおらず、平均年齢は50才を越えている。
彼らは必ずしも裕福な家庭に生まれ育った人たちではなく、貧しい家庭の出身者や、中には、裸一貫の移民で来た人たちも居る。彼らに共通している点があるとすれば、人生のどこかで大きなチャンスを掴んだ人たちであるということだ。

チャンスというものは、全ての人々に満遍なく巡ってくるものだ、とよくいわれる。ところが、それをチャンスと見極め、掴み取る人の数は極めて少数である。
チャンスを掴む人は、とりもなおさず、意識的にチャンスを常に求めている人たちであり、人生における成功を夢見ている人たちに他ならない。
そんな観点から、グアルジャーGCのメンバーたちとゴルフをしながら、それぞれのサクセス・ストーリーを聞くのは、とても楽しく実に興味深い。

広い歩道がいつの間にかレストランに占領されてしまった

若い頃、グアルジャーGCでキャディーをしていた、ロドルフォ・ガリード氏(51)は、ある日、グアルジャー島の岩場には天然の牡蠣が豊富に繁殖していることに着目した。彼はキャディーを辞め、毎日海に潜って牡蠣を取り、週末にエンセアーダ海岸の突端にある広い歩道の片隅に、小さな移動式屋台を置いて生牡蠣を売りはじめた。その内、客の要望で、牡蠣に合うカイピリーニャ(焼酎のカクテル)のサービスをし始め、さらに客が増えてくると、今度は牡蠣以外にイカやエビのから揚げをレパートリーに加えた。屋台では手狭になったので、市役所の監督に鼻薬を効かせて、歩道の端にカウンター付きの常設屋台をつくった。客はさらに増えた。ロドルフォ氏は、自分が歩道に花壇を造ることを交換条件に、歩道の一部にキオスクを建てる許可を市役所に申請し、受理された。その後、どのように市役所と交渉したのか詳しくは知る由もないが、そのキオスクが、今では広い歩道をほぼ一杯に使って、100席のレストランになり、魚介類料理の専門店として繁盛している。そのオーナーのロドルフォ氏は、私と同じように、ゴルフ場のメンバーの中で、数少ない島内在住者の一人である。

駆け出しの弁護士だったミゲール・カルモン氏(54)は、ブラジルの労働法が世界で最も労働者に優しいものであることに着目し、労働者側に立って訴訟を手がける法律事務所を開設することを思い立った。日本のように終身雇用制ではないブラジルでは、労働者が突然解雇されることは日常茶飯事で、解雇された労働者たちは、弁護士を介して(例え自分に非があって解雇されたとしても)不当に解雇されたとして、会社を告訴して賠償金を要求する。ブラジルの労働裁判所は、大抵の場合、労働者の味方で、彼らに有利な判決を下し、会社に賠償金もしくは示談金を拠出させる。弁護士事務所はその30%を礼金として受け取っても、労働者たちから感謝される。事務所は毎日、労働者たちで引きも切らない大繁盛で、ミゲール氏は一躍セレブな弁護士となった。

パウロ・トレド氏(52)はITの波に乗って成功した。パソコンが急激に普及し始めた頃、どこの事務所でも、こぞって社内ネットワークの設置をめざしたことに着目したパウロ氏は、専門のチームをいくつも作り、24時間態勢で、次々と工事を請け負った。今では、パソコン・メーカーが無料で提供してくれるサービスになっているが、当時は高額の手数料が支払われた。そして携帯電話の時代になり、最新技術に磨きをかけたパウロ氏は、電話会社を対象としたネットワークの構築と、同会社が設置した新ネットワークの作動テストを請け負う仕事を手がけ、成功を収めた。今では、ブラジルだけではなく、世界中の電話会社から受注がある。

アダウト・キヨタ氏(60)は、ブラジルが輸出振興のために定めた税金のインセンチブに着目した。輸出業者が扱った商品に課税される消費税と同じ金額が、同じ会社が商品を輸入する場合に免除される。ところが、輸出業者は必ずしも輸入も手がけているとは限らない。その一方で、輸出は行わない輸入専門業者がいる。アダルト氏は、弁護士の知識を生かし、輸出業者が使わない消費税のクレジットを、別の輸入専門業者に転移して活用せしめる法律の抜け道を発見し、多くの業者にその手続きの仲介をした。その金額たるや膨大なものであるが、輸入業者にとっては丸々利益になるので、莫大な弁護料を支払うことをいとわない。アダウト氏は、正に濡れ手に粟の如く、財をなした。彼は、週末になると、サンパウロからグアルジャー島までヘリコプターでやってくる。車で1時間以上かかるところが、わずか15分で着く。

ヴィルジリオ・カロリーノ氏(56)は、5才の時にポルトガルから家族で移住してきた。父親は働き者の左官屋であったが、一家4人の生活は楽ではなく、彼は9才になると、オフィースボーイとして働き始めた。商才のあった彼は、15才の時、カメローと呼ばれる、店を持たずに路上で商品を売りさばく仕事で、家族の家計を助けた。20才になったヴィルジリオ氏は、自らのセールス・センスに自信が持てるようになり、フリーランスのセールスマンとして、複数のメーカーや問屋(主にポルトガル系)の商品を、ブラジル全土に売り歩く仕事を始めた。そしてビジネスのコネクションが広がっていった。その頃、ブラジルでは自動車産業が発展の兆しをみせ始めており、世界各国から部品メーカーの進出が活発になっていた。そして、ポルトガル資本の、ある自動車専門の金型工場がブラジルに進出をすることになり、ヴィルジリオ氏は、ポルトガル系コネクションにより、同社からブラジルにおける営業活動を委託された。その後、世界中の自動車メーカーが次々にブラジルに上陸して生産が増大し、金型の需要が急増して、ヴィルジリオ氏は確固たるセレブの道を歩み始めた。彼のセカンド・ハウスは、エンセアーダ海岸の突端にある半島の岬にあり、正面に大西洋の大海原を望む、建坪500m²の大邸宅である。

イタリア移民のドメニコ・アバテ氏(71)は、ブラジルで転職を繰り返した後、零細な土建業者として、建売住宅を一軒ずつ造っては売っていた。ある日、偶然ファヴェーラと呼ばれるスラム街の前を通りかかった彼は、板張りの掘っ立て小屋に混じって、少しましなコンクリート造りの家屋が結構あることに着目した。彼は、低所得層の人たちも、彼らなりに、より良いマイホームを持ちたいと望んでいることを感じ、サンパウロ郊外の安い土地に、超ポプユラーなアパートを建設し、政府系の銀行とタイアップして、彼らに超低価格かつ長期月賦で販売することを始めた。思惑は当たり、アパートは何棟建設しても、すぐに飛ぶように売れ、あっという間に、大手建設会社の仲間入りを果たした。

これらはほんの一例で、100名のメンバーたちは、それぞれが機知に富み、柔軟性のある思考で、人生のどこかでチャンスを掴み、忍耐強く努力して、セレブの道を歩んできた人たちだ。例を挙げればきりがなく、それぞれのストーリーは異なっても、どれも波乱万丈で、非常に興味深いものばかりだ。
一方で、心臓外科医、最高裁判事、整形外科医など、学界の分野において、苦学と努力でサクセスを収めた人たちもいるし、外資系企業のエグゼクティブとして長年勤務し、莫大な退職金を得て、リタイアー後にブラジルに居残った外国人たちも数名いる。
彼らは、会社では多くの部下を持つVIPであるが、グアルジャーGCでは、誰とでも気さくに話をし、ゴルフを楽しみ、素っ裸になって更衣室を歩き回り、カイピリーニャを飲みながら女性の話をする、普通のオッサンたちである。そして、そんなオッサンたちが、ブラジルにはゴロゴロいる。

グアルジャーGCのクラブハウス

私は、ゴルフクラブという限られた範囲で、ほんの一例を挙げたに過ぎない。それでも、これほど多くの夢を実現した人たちがいる。それが、島全体、サンパウロ州、否、ブラジル全土となると、どれほど多くの人たちが、描いた夢を実現させていることであろうか。

私はつい、何かにつけて、日本の国とブラジルを比較してしまう。
今の日本の若者たちは、どのような夢を描き、どれくらいの人たちがそれを実現しているのだろう?

この国には、「ブラジリアン・ドリーム」なるものが間違いなく現実に存在し、夢を抱いた多くの人たちが、その実現を成し遂げている。一人一人が夢を達成する可能性は、日本より遥かに高い国であるということは、単に私のブラジルに対する思い入れだけでなく、まぎれもない事実である。(完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: その他、色々, (す)スケールが大きい, (ル)ルーツの多様性 パーマリンク

(45)ブラジリアン・ドリームとセレブな男たち への5件のフィードバック

  1. shoji6 より:

    巡ってきたチャンスを的確にものにする才覚を持ち合わせている人、何となく見過ごす人、貪欲さの濃淡、ハングリー精神の有る無しなどが人の運命を決めてしまう、今回のこのシリーズは草食性若者男子(昨今のこんな流行り言葉は情けない)に多少なりとも何らかの起爆剤となったかどうか?

  2. shoji6 より:

    (註)草食男子とは、本来恋愛やSexについて消極的な男子を指すらしいが、要するに据え膳すら食べるのを躊躇尻込みし見過ごすアカンタレと当方は解釈している。
    2006年後半頃よりマスコミ発信で流行り言葉になった。

  3. mshoji より:

    「ブラジル人気質」でふれたように、気候が好く、食べ物が安いブラジルでは、低所得でも食べていくことは出来るので、向上心のない人たちも多くいます。でも草食系というのとは、少し違うと思います。少なくともセックスには積極的です。

  4. マキムラヒロオ より:

    父親からはよく成功者の話を聞いたが、世の中の混乱期、貧困の時代に特にチャンスがあり、その時代に頭と体を使った人の中の数%が成功者になったと思います。
    父の友人で戦後リヤカーを引いて始め、その後日本に陸運王になった人もおられます忍耐力があり辛抱強く努力されたと聞きます、悪い状況を人、時代のせいにせず解決出来る人こそ成功者だと思います、日本はそんな首相が今すぐ必要です。

  5. mshoji より:

    日本は、一億総中産階級などといわれる国ですが、ブラジルの中産階級は、わずか16%で、その一角に食い込もうと虎視眈々とチャンスを狙っている人たちの数は、半端ではありません。2014年のW杯、2016年のリオ・オリンピックと、彼らにとって絶好のチャンスが訪れようとしています。中産階級は今の倍いてもおかしくないといわれているので、チャンスをものにする人たちが、きっとたくさん出ることでしょう。

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