(44)大西洋の真珠・グアルジャー島

延々7kmに亘って白い砂浜が続くエンセアーダ海岸

延々と続く真っ白な砂浜と波静かな青い海、私はその風景にすっかり魅了されてしまった。

ブラジルに到着してから2年目の夏のある連休に、勤務していた貿易会社の社長の計らいで、2泊3日の社員旅行が実施されることになった。行き先は、グアルジャー島だという。
数台のバンや乗用車に分乗し、早朝にサンパウロを出発した我々は、先ずは移民船が到着した懐かしのサントス港に向かった。そこから10数分間フェリーボートに揺られると、目的地の島に着く。港から3kmほど車で走ると、小さな街に突き当たり、その向こうに大西洋の大海原が開けている。海岸通りを左折し、大きな岩山を迂回すると、突然前方にどこまでも続く、真っ白な砂浜が目に飛びこんできた。真っ青な海から白波が次々と押し寄せている。
「何という絶景だろう!」私は目を瞠った。

キヨスクの並ぶエンセアーダ海岸

エンセアーダという名の、7kmに亘って続く渚に沿って、未舗装の道路が弓なりに走っている。右手に広がる砂浜と海の絶景を眺めながら、車はゆっくりと海浜沿いに奥へと進んだ。左手の遥か遠くに山並みが望め、麓まで広い草原が広がっている。道路に沿ってポツポツと別荘が建てられているが、大部分は未だ空き地だ。
車は、海浜の最先端に近いところで左に折れて横道に入り、100m程進んで、白壁と赤い屋根の平屋に横付けされた。会社がチャーターした宿舎だ。
それからの3日間というものは、天候にも恵まれ、生涯忘れられないくらいすばらしい時を過ごした。私は、グアルジャー島の砂浜と海にすっかり魅了され、将来リタイアーしたら、ぜひこの島に住もうと、密かに心に決めた。

海岸山脈を貫く「移民街道」のトンネル

海抜800メートルの高地にある、南米最大の商工業都市サンパウロのダウンタウンを南に抜けると「移民街道」と呼ばれる4車線の高速道路に至る。それを南に向かって平坦な道路を30km程走ると、そこからは海岸山脈を下ることになる。15km程の下り行程は、霧や雲がかかっていることが多く、渋滞や事故の原因になっていた。ところが、2002年に完成した道路のお陰で、この問題は一気に解決した。山麓部の行程を、ほとんど全域カバーするトンネルが開通したのだ。トンネルは、3km級のものが4本で、最も長いものは3,146mあり、ブラジルの国道にあるトンネルでは最長である。特筆すべきは、ギアを入れたままにすると、アクセルを踏むことなしに平均80km/hで、自然に車が転がっていくように、ゆるやかな傾斜になっていることで、いかなる霧や雲にも妨げられることなく10数分で、海抜ゼロの下界に到着する。トンネルはゆるやかなカーブを描いており、オレンジ色の照明が幻想的で、走行は快適だ。この下り車線は、ブラジル土木建設技術の粋を集めて造られた道路といわれており、28年前に完成した上り車線では、11本のトンネル建設のために、1600万m²の山林が伐採されたのに対し、下り車線の4本のトンネル工事は、わずか40万m²の伐採で行程が完成し、進歩した土木建設の技術が遺憾なく発揮された。

海岸山脈を下り切り海を臨む「移民街道」

トンネルが終わると、もう正面の彼方に大西洋が広がっている。道路は三又になっており、緑に白字のサインボードが、左は港のあるサントス方向、右はプライア・グランデ、ペルイーベなど南部の海水浴場、そして真ん中がグアルジャー島方向に車を誘導している。
「移民街道」の名称は、19世紀末から導入が開始された600万人に及ぶ移民たちの、ほとんど全員がサントス港に上陸し、旧街道経由でサンパウロに向かったことにちなみ、建国の基礎となった彼らに敬意を表して、名付けられたものである。
グアルジャー島に向かうには、二つ方法がある。一つは海岸山脈を下ってそのまま高速道路を30kmほど東に走り、架け橋を渡って島に至る方法と、南に直進してサントス港に向かい、フェリーボートを利用する方法があるが、時間的には高速経由がずっと早い。
グアルジャー島の面積は、14万2千m²で、瀬戸内海の小豆島と同じくらいだ。年間平均気温は25ºCで、冬でも18ºC以下になることはまずない。
島は、多くの美しい砂浜と青い海に囲まれ、その風光明媚なたたずまいは大西洋の真珠と呼ばれ、国内外から多くの観光客が訪れる。また、州都サンパウロを含む、サンパウロ州に住む中産階級の人たちにとって、グアルジャー島にセカンドハウスを所有することは、一つのステイタスの象徴になっている。

最も人が集まるピタンゲイラ海岸

島のアトラクションは、何といっても美しい海浜と青い海で、西から東へ、グアイアーバ、トンボ、ピタンゲイラ、アストリア、エンセアーダ、ペルナンブーコ、ペレケ、サン・ペドロ、イポランガと続く海浜は、どれも甲乙がつけがたいほど美しく、訪れる人たちを魅了する。最も長い海浜がエンセアーダで、全長7kmである(リオのコパカバーナ海岸は4,5km)。
また、最も人が集まる海浜は、ダウンタウンに隣接しているピタンゲイラで、1,8kmの海岸沿いにギッシリと建てられた白亜の高層マンションが見下ろす海浜は、夏になると立錐の余地がないくらいに賑わう。
マリーン・スポーツに適した海岸も多く、サーファーたちが集まる海岸は少なくとも6ヶ所ある。ヨットクラブが一つ、マリーナは6ヶ所あって、リッチな人たちはそこを拠点にヨットやスクーナーで、海に繰り出す。
海岸線に沿って、岩山や平地が数多くあるが、その昔、私が初めて訪れた時にはほとんど空き地だったものが、今ではマンションや一戸建ての大邸宅でギッシリと埋まっている。これらの家屋のほとんどがいわゆるセカンドハウスで、オーナーたちは普段は住んでおらず、マンションはゼラドール、一戸建て家屋にはカゼイロと称される管理人たちが住み込みで留守宅をケアーし、オーナーが何時来ても良いように、常にスタンバイの状態を保っている。
島にはこれといった産業はなく、商業施設のほとんどが、観光客と週末だけの住民たち目当てのものである。観光客のためのホテルは、エンセアーダ海岸のカーザグランデ・ホテル、ペルナンブーコ海岸のジェキチマール・ホテルが最高級で、他にも小規模な居心地のいいホテルが数多くある。レストランは魚料理を供する店が多く、海浜に沿って軒並みにあるが、ルッフィーノ、ダウマタ、イル・ファーロなどが、人気がある。
29万人の住民たちは、ホテル、レストラン、ショッピング・センター、スーパーマーケットなどを始めとする、様々な商業施設で職に就いているが、前記のようにセカンドハウスの管理、清掃、庭仕事などに携わっている人たちの数が最も多い。それでもなお、グアルジャー島内で仕事に就けない人たちは、対岸の大陸側にあるサントス市に毎日フェリーボートで働きに出かける。

エンセアーダ海岸を颯爽と歩く、熟女がひとり

平日は、さしもの美しい海浜にも人影は少なく、街を走る車の数もまばらである。
しかし、週末になると街の様相は一変する。車が道路に溢れ、スーパーマーケットのレジには長蛇の列ができる。海浜にはビーチパラソルの花が咲き、渚は人で一杯になる。マンションのガレージは車で満杯になり、入りきれない車が道路にあふれ出て駐車する。レストランはどこも満席になり、オーナーは、ほくほく顔で応対におおわらわになる。
週末を楽しんだ人たちが、帰宅する段になると混雑はさらに深刻になる。皆が一度に海岸山脈を登る日曜日の夕刻は、高速道路のラッシュアワーで、十数キロに亘って渋滞する。平日ならサンパウロまで1時間で着くところが、3時間以上かかることもある。

私は、1992年から12年間に亘って、日本で、在日ブラジル人たちを対象としたポルトガル語新聞の発行に携わっていたが、インターネットの普及と発達で、常時日本に滞在する必要がなくなり、ブラジルに戻って、グアルジャー島に住むようになった。
住居は、6階建てのマンションが16棟あるコンドミニアムで、全戸80軒であるが、住んでいるのは私(と犬)だけで、他は全てセカンドハウスである。従って、平日は誰も居ないので静かであるだけでなく、併設されているプール、サウナ、ジム、テニスコート、スクワッチなどの施設は、どれも貸切り状態になり、15人いる従業員たちも手持ち無沙汰で、至れり尽くせりの世話をしてくれるので、日々の生活は極めて快適である。また、コンドミニアムの前にある砂浜には、平日はほとんど人影がなく、前もって頼んでおくと、海浜にパラソルと寝椅子を運んでセットしておいてくれる。
全軒が同額の管理費を払っているのにも関わらず、私だけが特別の恩恵を蒙っているようで、少々申し訳ない気がしないでもない。

平坦ながら海からの風が強いグアルジャーGC

島には乗馬クラブとゴルフ・クラブが一つずつあって、私はそのメンバーになっている。ゴルフクラブの会員は100名いるが(日本人は私のみ)、島に住んでいるのは私を含めてわずか3名で、それ以外のメンバーは、全て島にセカンドハウスを所有している人たちである。彼らは、サンパウロ市または近郊のゴルフクラブのメンバーにもなっていて、グアルジャーGCは、いわばセカンド・コースである。私以外の島在住者の2名は、アメリカ人とイギリス人で、いづれも奥さんがブラジル人で、リタイアーした後にグアルジャー島に落ち着いた人たちだ。そんな訳で、平日にプレーをするのは私だけの場合が多い。パートナーが居ない日は、愛犬を同伴することにしている。愛犬は、いつの間にかゴルフに慣れて、ショットの時にプレーヤーより前に出ないこととか、グリーンとバンカーには足を踏み入れないことなどを、もうすっかり覚えてしまって、良きパートナーになっている。
週末になると、朝から会員たちが逐次ゴルフ場やってくる。といっても常時プレーするのはせいぜい30名程度で、月例クラブコンペも3、40名の参加では、例え優勝しても少々物足りない。
ゴルフ場から3km先にあるペレケーの海岸は、左右から半島が突き出ていて内海のようになっており、波が静かなので、漁師たちが船を停泊させるのに格好の漁港になっている。そこから沖に漕ぎ出した漁師たちは、夕方になると様々な海の幸を船底に満載して帰港する。浜辺から道路を隔てた場所にズラリと並んだ魚屋の屋台は、捕りたてのタイ、ヒラメ、クエ、スズキ、タコ、イカなどで溢れる。特にスズキは、グアルジャーの名物だ。グアルジャー島と大陸側を隔てる、幅約500mのベルチオーガ運河は、淡水と海水が適度に混ざっていて、スズキが最も好む水域になっている。

グアルジャー名物、鱸(スズキ)

料理が趣味の私は、海から挙がったばかりの2kg大のスズキを捌き、薄造りに仕立てるのが得意料理だ。グアルジャー産のスズキは、肉にほんのりと甘味があり、ポン酢ともみじ下ろしで食すると最高だ。冬場には岩場で採れるクエの水炊きが美味い。日本ではなかなか口にすることができない、この白身魚は、こちらではいつでも安価に手に入る。
毎年大晦日には、家族全員がグアルジャー島に集合する。ブラジル人たちは、大晦日を、日本人のようにしめやかに過ごす習慣はない。女性たちが、一日がかりで用意した様々なご馳走を、夜の11時頃になると満を持して、皆でテーブルを囲み、呑んだり食ったりのパーティーが始まる。年越しの12時ジャストに、すぐ目の前の海岸で一斉に華やかな花火大会のドンパチが始まる。それは延々と30分近く続き、それを眺めながらシャンパンで乾杯をし、皆が代わる代わるキスや抱擁をして、お互いに新たな年の幸せを祈る。ちなみに、ブラジルの打ち上げ花火の技術は、日本から導入されたもので、年々豪華になっており、特にリオのコパカバーナ海岸、サンタカタリーナのカンボリウ海岸と、グアルジャー島のエンセアーダ海岸で行われる、大晦日の花火大会は、ブラジル三大花火大会として有名で、大勢の人々が見物に訪れる。
私の誕生日はたまたま1月1日なので、年越しパーティーがいつの間にか、誕生パーティーにすり代わり、さらに盛り上がって、午前2時頃にようやくお開きとなる。翌日は皆二日酔いで11時頃になってやっと起きだし、寝ぼけ眼で昼食をかねた雑煮を味わって、正月を祝うのが通例になっている。(完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: (き)気候が快適 パーマリンク

(44)大西洋の真珠・グアルジャー島 への1件のフィードバック

  1. shoji6 より:

    プライヤ・エンセアーダの名物、愛犬Winnieちゃんの”波打ち際の疾走と大波くぐり”は一見に値します。見た人は一生忘れられないでしょう、このショーはギネスブックものです。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中