(41)魅惑の街:リオ・デ・ジャネイロの裏表

「ドイツの丘」に攻め込む機動部隊


装甲車が隊を成して坂道を昇る。迷彩服と防弾チョッキに身を固めた無数の兵士たちが、自動小銃を脇に構えてそれに続く。空には、軍用ヘリコプターが、何かを探すように低空飛行とホバリングを繰り返している。

それはアフガニスタンでもパキスタンのものでもなく、平和な(筈の)南米の国、ブラジルの、世界で最も美しい街の一つであるといわれるリオ・デ・ジャネイロで、真昼に繰り広げられた光景だ。

2010年11月21日、リオの北部にある、コンプレクソ・アレモン(ドイツ複合スラム街:この名称の由来は、この付近一帯は、元々ポーランド人によって購入された土地であったが、金髪人種を総称してドイツ人と呼ぶ、ブラジル人の習慣から「ドイツ..」と名付けられた)の、「ドイツの丘」を中心にした広域のスラム街に、州警察、連邦警察に加え、軍隊(陸空軍)が合体して突撃を開始したのだ。

去る10月の時期大統領選挙では、決選投票に残った2候補者が揃って、教育、健康、治安の改善を公約の最優先事項に掲げた。とりわけ、治安に関しては、2014年のサッカーW杯、2016年のリオ・オリンピックを控えて、国内のみならず、広く世界に対してなされた公約でもある。

ジウマ・ロウセフ女史の勝利に終わった大統領選挙の余韻が未だ覚めやらぬ11月中旬から、公約をあざ笑うかのように、リオ・デ・ジャネイロで次々と起こった、麻薬密売組織のメンバーたちによる暴動で、180台余の乗用車とバスが焼払われ、39名の犠牲者を出したことに対して、政府が取った行動はすばやく、且つ断固たる決意に溢れたものであった。

「ドイツの丘」複合スラム街


21日未明に、州警察400名、連邦警察300名、憲兵1200名、陸・海軍兵士800名の合同で組織された機動部隊が、装甲車24台、軍用ヘリコプター6機、135台のパトカーと軍用トラックで装備を固め、史上最大規模の体制で、スラム街「ドイツの丘」に巣食う、麻薬密売組織撲滅に立ち向かったのだ。
機動部隊のスケールの大きさは、マフィアの想定外だったようで、当初は抵抗を試みたものの、間もなく分がないとみて、散り散りに背走を始めた。そして、25日の午後に「ドイツ複合スラム街」に根を張っていた密売組織は、降伏の白旗を掲げ、完全に制圧された。
このオペレーションで、組織のメンバー133名が逮捕され、34トンの大麻、333キロのコカイン、54キロのクラックが押収された。組織が保有していた武器は、軍隊顔負けで、短銃211丁、自動拳銃77丁、ライフル147丁、機関銃39台、手榴弾44個に加え、驚いたことに、バズーカ砲3台までが見つかり、押収された。おまけに、盗難バイク300台も発見された。
没収された麻薬によるマフィアの損害は、末端価格でおよそ1千億レアール(600億ドル)といわれている。ブツは翌日から数日をかけて、同州のヴォルタ・ヘドンダ製鉄所の溶鉱炉で焼却された。
マフィアの排除によって、ようやく重い口を開いた住民たちによると、ドイツ人複合スラム街は、長年に亘って麻薬密売マフィアによって牛耳られており、地域内での日常生活のルールは、マフィアのボスによって定められ、揉め事が起こった場合などは、ボスの采配と、鶴の一声で裁決されていたそうである。
これで、リオ・デ・ジャネイロ最大といわれる麻薬密売組織が一応崩壊したことになるが、まだまだ予断は許されない。ドイツ複合スラム街の住民は約6万人であるが、その他にも10万人~20万人規模のスラム街がいくつもあり、それらの内部事情については、警察も完全に把握していないといわれているからである。
しかし、今回のオペレーションで、連邦政府と州政府に対する国民の信頼は、大幅に回復したことは間違いなく、これまでと違って、断固とした姿勢で治安の回復に本腰を入れてくれるであろう、という期待が大いに高まっている。

そんな事件にも関わらず、リオ・デ・ジャネイロの街は、以前にも増して美しく、海は青い水をたたえ、白い砂浜には、人が溢れている。

それというのも、事件が起こった北部(内陸側)をリオの裏の顔とすると、大西洋に面した南部(海岸地帯)は表の顔に当たり、双方の間には、地理的のみならず、その実態も同じ街とは思えないほど、大きな隔たりがあり、お互いの住民間にも普段は余り接点がないからだ。
リオの人口は650万人で、北部に住んでいる人たちが圧倒的に多く人口が密集していて、その景観は、お世辞にも美しいとはいえない。またリオは植民地時代に、アフリカから導入した黒人奴隷の積み下ろし港の一つであった関係で、今でも人口の46%は黒人もしくはその混血で、その大部分が北部の住民である。
南北住民の接点があるとすれば、北部寄りに位置するマラカナン・サッカー場(10万人収容)で、ゲームがある日だろう。そこには、南北に関係なく熱狂的なサッカー・ファンが詰め掛ける。
もう一つの接点は、カーニバルだ。大行進を演ずるメンバーたちの中心となるのは、北部の住民たちで、一方の観客は、南部の住民たちが多い。
さらに接点の一つに、南北の中間にあるダウンタウンがあげられる。もともとリオは港町で、その周辺からダウンタウンが生まれ、栄えていった街である。今でも商業とビジネスの中心地はダウンタウンで、リオ・ブランコ大通りや、ゼツリオ・ヴァルガス大通りには高層オフィースビルが林立している。ブラジルを代表する企業であるペトロブラス(石油)やヴァレ・ド・リオドーセ(鉄鉱石)の本社を始め、国内外の大企業がズラリとオフィースを構えている。ダウンタウンに働く人たちは、南北両方の地域から通勤してくる。近年になって、南北間の地下鉄が開通し、ダウンタウンへのアクセスが便利になった。

外国人観光客が、北部地域に足を踏み入れることはまずない。ガレオン国際空港からは、高速道路のレッド・ラインに乗ると、キリスト像のあるコルコバード丘の下をくり貫いたヘボーサス・トンネルを通って、一気に南部のイパネーマ海岸に出るし、イエロー・ラインに乗ると、さらに南のバーハ・デ・チジュッカ海岸に直行する。サントス・ヅモン国内空港からだと、ダウンタウンを右手に見ながら、アテーホの高速に乗ると、フラメンゴ、ボタフォーゴ海岸を経由して、コパカバーナまであっという間だ。
外国人がいう、リオ・デ・ジャネイロとは、通常、この南部地域のことを指している。
こちらは、美しい海浜が目白押しで、ホテル、レストラン、商店街など、観光客の受け容れ体制がしっかりと整っている。
リオ・デ・ジャネイロの魅力は、何といってもその美しい海浜だ。それぞれに個性があって、いずれ劣らず美しい。
大西洋に面する海岸を列挙すると、先ず波静かなレーメは、現地の人たちやお年寄りに人気がある。延々4,5kmに亘って続くコパカバーナ海岸は、リオで最も幅広い海岸で、ビーチ・サッカー、ビーチ・バレーなどの国際大会が開催される。有名アーチストのショーにも利用され、ローリング・ストーンのショーには100万人の観衆が砂浜を埋めた。大晦日の花火大会は300万人が海岸に詰め掛けることで有名だ。海岸はコパカバーナ要塞で行き止まりとなるが、要塞をグルリと回ると、小さな海岸アルポアドールに出る。全長わずか800mの岩の多い海岸は、大西洋に突き出ているために波が大きく、サーファーたちのお気に入りである。

イパネーマの娘


アルポアドールの続きが、イパネーマ海岸だ。ボッサ・ノーヴァの名曲、ビニシオ・デ・モラエス作詞、トム・ジョビン作曲の「イパネーマの娘」で一躍世界的に有名になった海岸で、唄の文句のとおり、美しく小麦色に日焼けしたギャルたちで溢れている。白い砂浜は広々としていて、若者たちが様々なスポーツを楽しんでいる。イパネーマの続きが、レブロン海岸で、イパネーマに比べると、若者の数は少ないが地域の住民たちに人気のある、落ち着いた雰囲気の海岸である。そこからは岩山になり、海沿いの断崖絶壁を削り取って造られた狭い自動車道が、急カーブの連続でサン・コンラッド地区まで車を運んでくれる。
サン・コンラッドに着くと、道路は海沿いから内部方向にはずれ、正面に小さな家々でギッシリと埋め尽くされた山が目に飛び込んでくる。住民数が20万人とも30万人ともいわれる、ブラジル最大のスラム街ホッシーニだ。私は中に入ったことはないが、聞くところによると、内部には全ての商業施設が整っており、学校も銀行もあるとのことで、まるで一つの町である。
サン・コンラッドにあるペピーノ海岸は、ガヴェアの岩山を飛び立ったASA DELTA(デルタの翼)の着地点として有名であるが、地理的条件がイマイチなので、観光客の海水浴には余り適さない。
サン・コンラッドを過ぎると、左手に高級マンションの高層ビルが林立している。
その右手は名門ゴルフクラブ、ガヴェアGCだ。ブラジルで最も由緒あるゴルフクラブであると同時に、入会審査が最も厳しいクラブとしても、知られている。18ホールの内、13ホールは道路の右側にある山岳コースで、アップダウンの多いトリッキーなレイアウトになっており、5ホールは道路を隔てた海岸側のフラットな地形に展開している。ビジターは受け付けないが、隣接したインターコンチネンタル・ホテルに宿泊すると、平日に限りプレーできる。

リオ最南端の新興開発地区バーハ・ダ・チジュッカ


ガヴェアを過ぎて高速をしばらく進み、トンネルを越すと、そこはもうバーハ・デ・チジュッカだ。リオ・デ・ジャネイロの新興開発地域である、この地区の総面積は170km²で、北米フロリダ州のマイアミ市より少し大きい。海岸線は27kmに及び、最長の海岸はバーハ・デ・チジュカ海岸で全長18kmあり、リオでは最も長い。海辺と並行して高級マンションがビッシリと建ち並び、複数の近代的なショッピング・センターを含めた商業施設も充実していて、全く新しいコンセプトでプロジェクトされた海辺の町であることが解る。そこは、リオ・デ・ジャネイロでありながら、リオとは別の街のような印象を与える。住民は、12万4千人の富裕層といわれる人たちである。
バーハ・デ・チジュッカを過ぎると、ジャカレパグアー地区で、国際会議やイベントに利用される施設がある。また、F1レースが開催されたこともあるオートドームと、南米最大のテレビ局である、グローボ局の本社・スタジオがある。この地区がリオ・デ・ジャネイロの最南端になる。
2016年のオリンピックは、この地域を中心に開催されることになっている。開閉式が行われるメイン・スタジアムを始めとする数々の競技施設と、オリンピック村の建設は、既に着工されている。

バーハ・デ・チジュッカの入り口から、橋を渡って山側に折れると大きな岩山が聳え立つボア・ヴィスタ地区になり、イタニャンガー・ゴルフクラブがある。27ホールのゴルフ・コースと、ポロの競技場がある高級スポーツ・クラブで、スポーツ以外にも様々な社交イベントが行われる場所として有名である。こちらのゴルフ場は、ガヴェアGCと違って、ビジターでも歓迎してくれる。

このように、海辺に沿って展開する街の景観は、グアナバラ湾に突き出たポン・デ・アスーカル(砂糖パンの山)の展望台から、一望することができる。また、キリスト像のあるコルコバードの丘に上がると、そのポン・デ・アスーカルを遥か下に望み、南部地域から北部地域に至るまで、さらに広範囲でリオ・デ・ジャネイロの絶景を楽しむことができる。但し、バーハ・ダ・チジュッカまでは遠すぎて、目が届かない。

小麦色の肌に、白いビキニの跡が残るリオのギャル


リオ・デ・ジャネイロの美しい海浜と絶景に勝るとも劣らないのが、カリオッカと呼ばれるリオっ子たちの、オスピタリダーデ(歓迎心)だ。ホテルでもレストランでも、人々はビジターを常に笑顔で、優しく迎えてくれる。カリオッカは、人懐っこく、話好きであっという間に親しくなる。運がよければ、健康そうに日焼けした女性と、デイトするチャンスに恵まれるかも知れない。若いギャルたちの小麦色に焼けた肌は、リオッ子たちにとって一種のステイタスで、色白の女性は、病人かヨソ者と見られ、リオでは余り見向きされない。それにつけても、小麦色の肌に、くっきりと白く残ったビキニの水着跡ほど、情をそそられるものはない。

2014年W杯のメインスタジアム、マラカナン球技場(10万人収容)

 (完)