(33)大都会サンパウロ

高層ビルが林立するサンパウロ

ダウンタウンに近く、高層マンションに囲まれ、今も残る高級住宅地

カッカッカッという聞きなれた音で、目が覚めた。57日の航海の末に、サンパウロに着いた翌日の朝だ。移民船のベッドに慣れた身体は、陸の柔らかいベッドに少し違和感を覚えたせいか、明け方に目が覚めた。窓を開けてみると、まだ薄暗い石畳の道を、野菜を積んだ馬車が、蹄鉄の音を響かせて走っていた。それは、忘れもしない、私が最初に見た、サンパウロの朝の光景だ。

1960年代のサンパウロの街は、主要なアヴェニュー以外、未だ石畳の道が多く、馬車の往来も結構多かった。街には路面電車が走っており、私は毎朝通勤に利用した。当時、サンパウロ市の人口は380万人程で、車の交通量も少なく、落ち着いた街という印象であった。

50年を経た今、サンパウロ市の人口は1、100万人に膨れ上がり、南米最大の都市であることはもとより、上海、ボンベイ、カラチ、デリー、イスタンブールに次いで、世界6番目の大都市に成長した。日本では余り知られていないが、ニューヨーク、東京よりも、ずっと大きな街なのである。隣接する、サント・アンドレー、サン・ベルナルド、サン・カエターノ(通称ABC地区)を含めた、大サンパウロ圏の人口は、実に1,900万人を数える。

サンパウロは、海抜792メートルの高原にある街で、夏の気温は35ºCを越える日もあるが、空気が乾燥しているので、日本の夏のように蒸し暑さがなく、日蔭に入ると涼しいくらいだ。冬でも11º C以下になる日は少ない。年間平均気温は20ºCで、 極めて快適である。

市内には94区あって、総面積は153万平方キロで、東京23区の3倍の規模である。

サンパウロの新しい顔、南部をつなぐモロンビー吊り橋

街を走行する車の数は約650万台で、渋滞は日常茶飯事、時には十数キロに及ぶこともある。市ではロディージオ(日替わり制)と呼ばれるシステムを採用し、ナンバープレートの末番号で市内乗り入れを規制し、その一方で地下道や高架を増設しているが、日に2千台以上の新車が販売されている現実に追いつかず、渋滞は一向に解消されない。そのため、エグゼクティブ・クラスの間では、ヘリコプターを利用する人たちが激増し、2009年にはサンパウロ市の上空を飛ぶヘリコプターの数と、ビルの屋上にあるヘリポート数が、世界一となった。

交通緩和のために、地下鉄の整備が急ピッチで進められており、路線は最近ようやく322キロに達し(東京の地下鉄は200キロ)、さらに延長工事が継続して行われている。一日、300万人の人たちが、地下鉄を利用している。その他、1万5千台の路線バスと、3万2千台のタクシーが市民に足を提供している。

街の中央部にある市民の憩いの場、イビラプエーラ公園

高原にあるために、街はアップダウンが多く、必ずしも計画的に拡大した街ではないので、場所によっては道路はかなり不規則に入り組んでいる。それでも街には街路樹が多く、街の中央部には、イビラプエーラ公園が1,584平方キロ(代々木公園の約3倍)を占有していて、その緑あふれるスペースを、市民に憩いの場として提供しており、月に90万人が、訪れる。全体的に緑の多い街という印象を与える。

住民は、世界中から集まったあらゆる人種とその子孫たちで構成されており、実に多様性に富んでいる。文化的にもそれが反映され、居ながらにして世界のあらゆる文化と接することが出来る。ちなみに、本国を除く世界最大のコミュニティーを有する人種は、日本、スペイン、ポルトガルとリバノである。
レストランは、最も数の多いイタリアン・レストランを始めとして、ドイツ、スペイン、アラブ料理などのレストランが軒を並べている。中でも最も多いのがピザ・レストランで6千店が毎日100万枚のピザを市民に提供している。日本料理店も約300店あり、毎日1万7千個の寿しが握られ、消費されている。
民族によって好んで住む区域があり、例えばイタリア系はビッシーガ区、ユダヤ系はイジェノーポリス区、日系人はリベルダーデ区、アラブやアルメニア系はブラス区、韓国系はボンヘチーロ区などである。

外国からだけでなく、北や南のブラジル全土から、毎年数万人の国内移民が、生活の向上を求めてサンパウロにやってくる。男たちは当初、工場や建設の現場で、女性たちは女中や家政婦などの職に付き、子供を育てて彼らに将来の夢を託す。

市内には、110の博物館、148の大学、205の病院、39の文化センターがあり、5つの4万人以上収容可能のサッカー場、4つのゴルフ場を始め、数多くの文化、教育、スポーツ、医療関連の施設がひしめいている。
市内に在るホテルの数は410で、月100万人の観光客を受け入れている。

世界中の進出企業がオフィースを構えるパウリスタ・アヴェニュー

ファッションの世界でも、サンパウロは世界の流行の発祥地の一つになっている。北半球とは季節が反対であるために、例えば、夏のファッションは、南半球にあるサンパウロでの流行が北半球に先んじる、といわれている。

サンパウロはまた、南米最大、世界でも有数の商工業都市で、世界中の有力企業が進出してきていて、あらゆる分野でしのぎを削っている。日本からの進出企業も300社を超える。自動車産業を例にとると、北米、ヨーロッパ、アジアを問わず、世界中のほとんど全てのメーカーが進出して、車を生産または輸入販売をしている。ブラジル市場は、車に関しては、世界最大の激戦地の一つである。また、世界中の総合商社が、パウリスタ大通りを中心にオフィースを構え、BRICSの一翼を担う、ブラジルにおけるビジネス・チャンスを手中にすべく、万全の体制を整えて活動している。

このようにサンパウロは、多様性に富んでいて活気に溢れ、多くの人々や企業に、様々な夢の実現をもたらしている、魅力に溢れたメガ・シティーである。

高級ナイトクラブの美女たち

リオ・デ・ジャネイロとは対照的に、サンパウロはビジネス都市なので、観光の面では余り見るべきものはないが、ナイト・ツアーは、一見に値する。エグゼクティブを対象にした、高級ナイトクラブがいくつもあって、多様性に富んだ、いづれ劣らぬ美女たちであふれている。出しもののショーは、迫力があって、かなり生々しいものもある。クラブによっては、スイートルームを併設している所もあるが、大概の店はお持ち帰りOKだ。

私は、ブラジルに渡って50年になるが、リオ・デ・ジャネイロに3年、東京に10年を除く、人生の大半をこの街で過ごした。この街で社会人になり、ポルトガル語を学んで仕事に励み、ビジネス・チャンスを掴んだ。余暇にスポーツを楽しみ、恋人たちや、多くの友人たちと出会ったのもこの街だ。50年の間に、サンパウロは大きく変貌し、成長したが、私はそれを見守りながら生きてきた。常に私の人生と共にあった街で、限りなく愛着を感じる街である。         (完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: (き)気候が快適, (す)スケールが大きい, (ジ)人種差別がない, (ル)ルーツの多様性 パーマリンク

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