(31)薄幸の愛馬・ウイスキー

薄幸の愛馬ウイスキー

荒原を一組の人馬が、前方の山裾に向かって疾走している。舞い上がる砂煙を、遠くにいた連邦警察のヘリコプターが発見し、直ちに空から全速力で追跡を始める。ヘリコプターが到着する前に、人馬はかろうじて山裾にたどりついた。ホッとしたのも束の間、男は潅木に覆われたその山の斜面が、45度はあろうかという急傾斜であることに気付く。ヘリコプターがぐんぐん近づいてくる。馬から降りた男は、意を決したように人が一人でも登るのは困難と思われるその急斜面を、こともあろうに、手綱を引っ張って馬と共に登り始めた。

ヘリコプターが追い付き、潅木に見え隠れする男に発砲するが、機体が揺れるので狙いが定まらない。男はやおら馬の鞍からライフルを抜き出し、ヘリコプターに向かって発砲し始める。数発目の弾丸が、ヘリコプター後尾のプロペラに命中した。機体はまたたくまに安定を失い、きりもみ状態になって墜落する。

取り敢えず、警察の追跡は回避したが、一難さってまた一難、急斜面を馬と共に登る作業は困難を極めた。男は、未だ若い栗毛の馬「ウイスキー」の名を、大声で連呼しながら励まし、滑ったり転んだりして懸命によじ登る。男が目指すのは、山頂を横切るメキシコとの国境だ。ようやく、頂上に達しようとした時、にわかに大粒の雨が人馬を襲った。テキサス地方特有のスコールだ。それでも彼らは歩を緩めず、遂に頂上までの踏破に成功した。目の前のアスファルト道路さえ横切れば、そこはもうメキシコだ。雨はますます激しくなり、視界はゼロに近い。男はやおらウイスキーに跨り、横断を開始した。道路に跳ね返る激しい水しぶきにおびえた若馬は、躊躇して一瞬立ち止まる。

そこに徹夜の運転で、睡魔に負けそうなドライバーが運転する大型トラックが近づいてくる。豪雨による視界は最悪だ。ドライバーが気付いた時には、人馬はすぐ目の前だった。彼は、バンパーに重い衝撃を感じた。

未だ高校生の時に観た、カーク・ダグラスがお尋ね者のカウボーイを演じる、現代西部劇のファイナルだ。馬好きの私は、涙が止らなかった。一人なら楽々と成功したであろう逃避行を、愛馬を伴って敢行することにこだわった男の気持ちに、いたく感動した。

それ以来、ますます馬が好きになり、可愛いと思うようになった。そして人生で、もし自分の馬を持つようなことになった場合、その馬を「ウイスキー」と名付けようと思った。

2006年、日本における在日ブラジル人たちを対象にした、ポルトガル語新聞の発行が一段落してブラジルに戻った私は、かねてから計画していた、サントス港の沖合に浮かぶ、グアルジャー島に住居を構えた。

住まいのあるマンションの建物の隣に、500平米くらいの空き地があり、或る日を境に、そこに一頭の馬が放されて居つくようになった。中型の鹿毛の馬で、涼しい眼をした賢そうな馬だ。空き地には雑草が生えていて、馬はそれを口にしてはいたが、飼料らしきものを与えられている様子はなかった。そのせいで、馬はかなり痩せていたし、毛並みも良くなかった。一ヶ月たっても馬はそのままで、誰かが世話をしたり乗ったりする気配は全くない。そこで、私はボランティアで世話をし、もし飼主が望むなら乗ってトレーニングもしてあげようと思い立った。飼主はすぐに見つかったが、彼曰く、馬は借金の片に取り上げたもので、彼自身は馬に関する興味も知識もないため、やむなく空き地に放しているとのことだった。私のボランティアの申し入れに対して、彼は「それより、いっそ馬を買わないか」ともちかけてきた。馬は6才、アラブ系の血が半分入っているとのことだった。私は、馬を買うつもりはもとより毛頭なかったが、なんとなく馬の名前を訊いた。図らずも、その名は「ウイスキー」だった。その瞬間、昔見た映画の記憶が鮮明に甦った。そして私は思わず「クアント クスタ(ハウマッチ)?」と訊ねていた。

馬を買ったのはいいが、置き場所がないことに気付いた私は、慌ててウイスキーを預かってくれる人を探した。幸いにして島内で、いい人が見つかり、ウイスキーの世話を託す一方で、馬を飼育できるような場所を物色した。そして、グアルジャー島から大陸側に渡って90キロ先の高原に、2エーカー(12万平米)の小さな牧場が見つかった。そこを「ランチョ・コーベ」と名付け、島からウイスキーを移動させた。

ウイスキーは、思ったとおり賢く、性格が素直で人懐っこい馬だった。彼は広いパスト(草原)を、水を得た魚のように喜々として走り回った。手入れが行き届き始めるとメキメキ太りだし、毛並みも艶をおびて、ピッカピカに輝きだした。毎日の調教で筋肉がつき、その走りは日増しに軽快なものになっていった。

それを見た家内が、乗馬に興味を持ち始め、馬をもう一頭購入することになった。それがきっかけとなって、一頭また一頭と馬が増えていった。

新入りの馬が、場所に慣れ、従来からいる馬たちと仲良くなるのには、かなり時間がかかる。ウイスキーは、そんな新入りの馬たちにいつも積極的に近づき、あたかも現地事情をレクチャーするかのように寄り添って、彼らが一日も早く環境に慣れ、リラックスさせる役目を引き受けてくれていた。

そして、7頭目の馬が入厩した。パスト(草原)に放牧した馬に、いつものようにウイスキーは話しかけるように近づいていった。すると、まだ場所に慣れずナーバスになっていた新馬は、突然ウイスキーに尻を向け、後肢で思いっきり蹴飛ばしたのだ。蹄がウイスキーの前肢を直撃し、あろうことか、向こう脛がポッキリ骨折してしまった。馬にとって最悪の部分の骨折は、駆けつけた獣医によって、回復不可能の診断がくだり、涙をのんで薬殺することになった。ウイスキーは、今、ランチョ・コーベにある果樹園の土の下で、静かに眠っている。

私が、再び馬と親しむキッカケとなったウイスキーのことは、一生忘れることがないだろう。

ウイスキーが先鞭をつけた馬の飼育が、思いがけず、趣味と実益を兼ねた形で発展し、今では8頭のいづれ劣らぬ駿馬たちが、リゾート・ホテル内での乗馬サービスに勤しみ、多くの宿泊客たちとその子供たちに親しまれ、愛されている。

「ウイスキー」という名は、馬にとって薄幸を招くのかも知れない。私は、金輪際、いかなる馬にもこの名前を付けないことを心に誓った。          (完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: その他、色々 パーマリンク

(31)薄幸の愛馬・ウイスキー への5件のフィードバック

  1. shoji6 より:

    次のエピソードは何かな?と期待しつつ定期的にアクセスして毎回興味深く読ませて戴いています。で、次は何かな?

  2. nana より:

    興味深いお話に、最近拝読し始めたばかりですが、こちらのウイスキーのお話は悲しくて涙が止まりません。

    • mshoji より:

      動物は可愛いですが、常に死別はつきもので、その度に悲しい思いをします。その分、日々のコンタクトでは出来る限り、愛情を注いでやりたいと思っています。

  3. nana より:

    本当にその通りですね。
    飼われている以上、幸せも不幸も飼い主次第ですね。
    ウィスキーも幸せなときがあってよかったです。

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