(19)情熱のタンゴ:すぐ隣のアルゼンチンで

華麗にして情熱的そして扇情的なタンゴ。その奥には深い悲しみがひそむ。

ドラマチックで情熱的、官能的にして優雅、しかしテーマは常に深い悲しみ...そんなアルゼンチン・タンゴに私が初めて接したのは、1972年のことだった。

1970年代の第一次ブラジル経済発展期に、300社を超える企業が、雪崩のように、日本から進出して来た。サンパウロ周辺に住む駐在員とその家族の人口は約3千人に達した。彼らの平均的なブラジル滞在期間は3年だ。当時、旅行社を経営していた私は、彼らの滞在期間中に、ブラジル国内と近隣の国々の観光名所への旅行が楽しめるように、パッケージ・ツアーを組んで、販売することを企画した。

その一つが、アルゼンチンのブエノスアイレス・ツアーだった。サンパウロからわずか3時間のフライトで、むしろ国内旅行より、リーズナブルなパッケージが組める。私は、現地調査のためにブエノスを訪れた。

ブエノスアイレスのクラシックな建物

ブエノスアイレスのクラシックな建物

ラ・プラタ河の河口に広がるブエノスの街は、別名「南米のパリ」と呼ばれる。当時、私はまだパリを知らなかったのでピンとこなかったが、たしかに、その頃の新興都市サンパウロと比べると、垢ぬけている。街のあちこちにあるゴチック様式の建物が、クラシックな雰囲気をかもしだしている。今でこそ、サンパウロには地下鉄が縦横無尽に張り巡らされているが、当時は南米で地下鉄があったのは、ブエノスアイレスだけだった。ダウンタウンのフロリーダ通りの商店街には、ブラジルでは見られない、センスに溢れた店々が並んでいた。皮製品やカシミアの質が良く、安い。ホテルのレベルも高い。食事には、アルゼンチン・ステーキがお勧めだ。中でも、ロモと呼ばれるヒレ肉のステーキは、レアで食べると最高に美味い。ブラジルのシュラスコとは、またちがった肉の味覚が楽しめる。

カミニートに保存されている色とりどりのバラック小屋

カミニートに保存されている色とりどりのバラック小屋

パッケージ・ツアーに必要な、ホテル、レストランとショッピングのメドがついたところで、今度は観光とアトラクションだ。昼間は、その昔、波止場に着いたイタリア移民たちが、職がみつからないままに住み着いてしまったという、ラ・ボッカ地区が面白い。今でもあちこちに板きれで張りぼての粗末なバラック住宅がそのまま保存されていて、そこを横切る小道が、タンゴ「カミニート」の発祥地だ。                            Caminito que el tiempo ha borrado, que juntos un día nos viste pasar...電柱に取り付けられたスピーカーが、通り行く人々に、タンゴの名曲を投げかけてくる。

「タンゴショーを見ずして、ブエノスアイレスを語るな」の教えに従って、夜は、ショー見物に足を運んだ。                                           場所は下町、シンプルで民家を改造したような建物だ。中に入ると、薄暗い明りの中に、50平米くらいの半円形のステージと、それを囲むように、木製の粗末な椅子が数十脚置かれている。まるで何かの倉庫のようだ。それもその筈、店の名前は「ビエホ・アルマゼン(古い倉庫)」だった。

タンゴの店「古倉庫」の入り口

タンゴの店「古倉庫」の入り口

その内、人がどんどんと入ってきてやがて椅子は全部ふさがってしまった。突然、場内が真っ暗になった。数秒後に、色とりどりのスポットライトが点灯され、舞台が華やかに浮かび上がった。そこには、ピアノ、バンドネオン、バイオリンのトリオと、マイクをもった黒いスーツ姿の歌手がスタンバイしていた。何の前触れもなく、バンドネオンが音を震わせ、ひとつ遅れてピアノとバイオリンが追いかける。そのメロディーに歌手が声を乗せた。「ラ・クンパルシータ」だ。

何という迫力だ!私は度肝を抜かれた。瞬く間に会場は興奮のるつぼと化した。その頃には、あの殺風景な倉庫が、華やかな劇場に姿を変えていた。
一曲終わるころには、歌手は額から汗を滴らせていた。休む間もなく、二曲目が始まった。今度はステージの裾から、3組のカップルが飛び出した。男性は黒いスーツに中折れ帽、女性は髪を小さくまとめ、太ももまで切れ目のはいった、セクシーなドレスを身にまとっている。

女性の足が生き物のように絡みつく

女性の足が生き物のように絡みつく

ダンスは、狭い舞台を一杯につかってダイナミックに繰り広げられた。男性の身体にからむ女性の生き物ような白い足が、いいようもなく官能的だ。彼らの顔には微笑みのかけらも無い。悲しみをこらえているように無表情でありながら、その踊りは限りなく情熱的で扇情的である。絞り出すような歌手の声が、雰囲気をいやがうえにも盛り上げる。スペイン語は、ポルトガル語に近いので、歌詞の意味がおぼろげながらに解る。そしてタンゴは日本の演歌に似て、廃頽的で憂いに満ちたものだということを、私は知った。

曲が終わり、ダンサーたちがサッと引き揚げた。一瞬、会場に静寂が訪れた。2,3秒後、呆然としていた観客は、我に返ったように、あわてて拍手をし始めた。それは、正に感動的な舞台であった。                              2時間余りのショーが終わると、興奮まださめやらぬ観客誰もが言葉少なにバスに乗り込んでいった。

私は、すっかりタンゴの虜になってしまった。ブエノスでの三日三晩、その店に足を運んで新たな感激にひたり、心ゆくまでタンゴを味いながら、一人でも多くの駐在員家族にこの感動を味わってもらいたいものだ、と思った。

サンパウロに戻って組み上げたパッケージ・ツアーは、タンゴとステーキをメインにしたものになった。その年の年末には、参加希望者が多すぎて、通常路線のフライトに座席が確保できず、やむなくボーイング737機をチャーターして、ツアーを実施した。

今年の2月に、岸和田に住む兄夫婦が、ブラジルを訪ねて来てくれた。まず、リオのカーニバル見物に案内した。夜通し、絢爛豪華に繰り広げられるカーニバル行進に、二人は目を瞠った。夢中になってシャッターを切っていたカメラ・マニアの兄は、余りにも被写体が多いために、カメラをおろす暇がなく、腕にコブラ返りを起こしてしまった。

ブエノスアイレスの新興地域、港の周辺

ブエノスアイレスの新興地域、港の周辺

翌週、一変してブエノスアイレス訪問となった。私にとって、それは30数年ぶりのアルゼンチンだ。その間、南米におけるブラジルとアルゼンチンの地位は、逆転した。1946年から20年続いたペロン大統領の独裁政権と、それを崩壊させて17年継続した軍事政権のために、アルゼンチンの経済はすっかり衰退してしまい、その間にめざましい成長を遂げたブラジルに先を越されてしまったのだ。

久方ぶりのブエノスアイレスは、既にパリを知っていた私にも「南米のパリ」を感じさせるたたずまいで、昔と変わらない落ち着いた雰囲気を保っていた。最も大きな変化といえば、街の玄関となる港が、ラ・プラタ河の河口近くに移転して、そこが新興地域となりモダンな高層ビルが林立し、新たなブエノスアイレスの顔として、観光名所になっていることだ

セニョール・タンゴの建物

セニョール・タンゴの建物

待望のタンゴの夜になった。先ずは、最近評判の「セニョール・タンゴ  http://bit.ly/1k6v2Cd 」という店のディナーショーに行くことにした。店は、正面がネオンサインで飾られていて、一見劇場のような建物で、中は広く、中央に直径15メートル程の丸い舞台が設えられていた。その周りに8人掛けの丸テーブルがギッシリと並んでおり、食事が出来るようになっている。見上げると、二階席もあり、さらに貴賓席のようなカマロッテがずらりと並んでいた。

ㇿモ・ステーキはレアがお勧め。

ㇿモ・ステーキはレアがお勧め。

ディナーには、ロモ(ヒレ肉)のステーキと赤ワインが供され、終わる頃になるといよいよショー・タイムだ。いきなり、馬に乗ったインディアンが舞台に現れ、丸いスタージをグルグルと疾走して観客の度肝を抜いた。ショーは、アルゼンチンの歴史をたどったドラマ風に構成されており、現代の同国を象徴するタンゴ文明へと展開していく内容のもので、演出のすばらしさが、タンゴのボーカルとダンスを引き立てていた。シアター形式のショーは、洗練された華やかさがあり、以前見たタンゴ・ショーとは異なったものであったが、それなりにすばらしかった。

私はガイドブックで、30数年前に三日間連続で通った「ビエホ・アルマゼン(古い倉庫) http://bit.ly/1c7KysJ 」という店を探した。あの泥臭いタンゴの感動を、もう一度味わいたい。店は未だ存在していた。二日目のタンゴはその店に決めた。

ダンスを引き立てる歌手とバンドマンたち

ダンスを引き立てる歌手とバンドマンたち

店は昔に比べて、少し小奇麗になった気がしたが、椅子は相変わらず木製で、粗末なものだった。ショーが始まった。進化したテクノロジーのお陰で、舞台の照明、音楽効果が一段と冴えている。ショーは、30年前と全く変わらない素晴らしさだった。

今回私は、相変わらず顔に微笑みを浮かべることもなく、無表情で踊る男女のダンサーに注目していた。人生のどん底を必死で生きているような切羽詰まった雰囲気が感じられるにも関わらず、情熱的で扇情的なタンゴというダンスは、一体どのようなルーツをもっているのだろう。歌手もまた苦しげな表情で、相変わらず情熱的にタンゴを喉から絞り出す。一説によると、タンゴは元々ジゴロと娼婦のダンスであると言われている。女が、離れようとしては引き戻され、その度に情欲の虜になったように男と交わる…といえばいかにも退廃的だが、その踊りは限りなく優雅であるところが、タンゴを見る人を魅了してやまない所以であろう。

その前の週にリオで見たカーニバルで、サンバを唄い、踊るブラジルの男女と、余りにも対照的だ。サンバを踊るダンサーたちは、満面に笑みを浮かべ、あくまでも明るく陽気に、そしてダイナミックに躍動する。サンバは決して裕福な階層の人たちの踊りではない。にも関わらず、その底抜けの明るさのルーツは一体どこにあるのだろう。

mestre-sala-donde-e-porta-bandeira-marciaサンバのリズムと共に繰り広げられるカーニバルの主役は黒人たちだ。ブラジルにおける黒人の歴史は、極限の苦しみの歴史である、と言っても過言ではない。アフリカで自由に生活していた彼らは、ある日突然捕獲され、荷物の様に船倉に詰め込まれ、数十日間、飲まず食わず、糞尿垂れ流しのままブラジルに連行された。陸揚げ(?)された彼らには、さらに過酷な環境が待っていた。陽の高いうちは鞭打たれて労働を強いられ、夜は逃避しないために鎖で繋がれた。究極の苦しみに満ちた日々は、彼らの表情から一切の笑みを奪い、苦渋に満ちたもの(または無表情)にしてしまったであろうことは想像に難くない。自らの意志ではなく、何の望みも目的も持たずにブラジルに連行された黒人たちが、後日何らかの望みを抱いたとすれば、それは唯一、奴隷生活から解放されることであっただろう。そして、1530年から3世紀半にわたって続いた奴隷制度は、遂に、1888年に奴隷解放令が発布されて、ようやく終焉した。その時の黒人たちが感じた喜びと幸せの大きさは、想像を絶するものであっただろう。その時以来、彼らは苦渋の表情を永遠に封印してしまい、そこには明るい笑みだけが残された。解放後の生活は、必ずしも楽ではなかったが、少々の苦労は奴隷時代のそれに比べると些細なもので、明るい笑みを絶やすことなく乗り越えていった。奴隷時代には封印されていた、彼らが唯一、アフリカから持ち込んだ文化であるサンバのリズムは、解放と共に思う存分に楽しむことができるようになった。黒人たちがサンバを唄い踊るときの表情が、喜びに溢れ、底抜けに明るいのはそのせいであろう。その後、彼らの労働力の代替えとして導入された白人の移民たちも、いつの間にか、先住民(黒人)の明るさに感化され、今日のブラジル人の陽気で明るいキャラクターがつくられていったのではなかろうか。

一方のアルゼンチンには、奴隷導入の歴史は無く、全て自分の意志で、目的をもった人たちが移民としてやって来た。開拓時代の移民たちの生活は、ご多分にもれず、決して生易しいものではなかったが、それでも、黒人奴隷のそれに比べれば、はるかに恵まれており、苦労を乗り越えた彼らは、次第に安定した生活を得るようになっていった。その中で、娼婦やジゴロといった人たちは、いわば落ちこぼれで、苦しい生活環境のために、表情は苦渋に満ちたものであったとしても、ブラジルの黒人たちがおかれていた境遇に比べるとはるかにマシで、そのせいで、踊るタンゴにまだ優雅さを加味する余裕があったのではなかろうか。        (完)

mshoji について

兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitter:@marcosshoji
カテゴリー: (ジ)人種差別がない, (ラ)ラテン気質は陽気, (ル)ルーツの多様性 パーマリンク

(19)情熱のタンゴ:すぐ隣のアルゼンチンで への8件のフィードバック

  1. その岸和田の兄より より:

    待望のRioのカーニバル見学、というより参加した実感のあの会場はまさに異質の文化でした。アトラクションの域を超えたエンターテイメントです。生涯忘れ得ぬ経験となりました。忘れ得ぬといえばブエノス・アイレスの網焼きステーキ、ロモの美味しかったこと、場所を変えて毎日食べましたねー、ブラジルのシュラスコも美味しかったけれど・・・。それに連夜のタンゴショウは感動の連続で、聞きなれた名曲の数々もきっちり演奏してくれてうれし涙がちょちょ切れましたよ。ご案内有難う。
    Viva! Carnaval de Rio e Tango de Argentina.

  2. TOSHI より:

    mshoji 様

    初めまして。 TOSHI と申します。
    「 タンゴ 」というキーワード検索で、この素敵なサイトに辿り着きました。
    突然のコメント、どうぞお許しくださいませ。

    アルゼンチンとタンゴ、そしてブラジルとサンバ ……… その背景には、この
    ような歴史があったのですね。
    まったく知らない世界でしたので、衝撃を受けました。

    PS
    私事で大変恐縮ですが、素晴らしい先輩や友人に恵まれ、今の自分があります。
    その諸氏への些細な恩返しとして、小生、YouTube で歌を公開しております。
    すべての楽曲を、心を込めて歌っております。
    ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
    http://www.youtube.com/user/TOSHI0016

    ただいま【 最後探戈( Last Tango )】という楽曲の練習を重ねております。
    その背景( スライドショウ )として、この頁の一番上の写真である「 華麗に
    して情熱的そして扇情的なタンゴ。その奥には深い悲しみがひそむ。」という
    素晴らしい写真を使用させて頂きたく、ご連絡をさせて頂きました次第です。

    当然の事ですが、YouTube の Upload 曲の中で、貴サイトの写真である事を
    明記させていただきます。

    お忙しいところ申し訳ありませんが、ご許可の可否をご連絡いただきますよう
    どうぞよろしくお願い申しあげます。

  3. TOSHI より:

    mshoji 様

    おはようございます。TOSHI です。
    ご返事が大変遅くなり申し訳ございません。
    貴殿からの嬉しいご返事に感激しております。
    ご高配賜り、本当にありがとうございました。

    最後探戈( Last Tango )という楽曲は、台湾の「 坣娜:たんな 」さん
    というシンガーが歌っておられる Emotional なナンバーなんですよ。

    台湾語の「 詞 」の発音には苦労しっぱなしの私です。( 汗 )
    いや~難しくて ・・・ 日本語にはない 「 中間音 」 があったりします。
    プロ歌手である台湾の友だちに 「 発音指導 」 をしていただきました。
    繰り返し練習した結果、詞を覚え、見なくても歌えるようになりました。

    今週末に最後の練習をして、11月1日( 土 )に公開を予定しております。
    歌唱の完成度が低ければ、あと一週間ほど後になるかも知れません。( 泣 )
    mshoji 様の素晴らしい写真を汚さないよう、必死で頑張ります。
    YouTube に Upload しましたら、その URL をご報告させていただきます。

    まずはお礼まで。

  4. TOSHI より:

    mshoji 様

    お早ようございます。TOSHI です。
    My – YouTube Site に【 最後探戈( Last Tango ) 】を Upload しました
    のでお知らせ致します。
    とても素晴らしい mshoji 様の写真を汚さないよう、猛練習を重ねました。
    ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

    また、貴殿の素敵な Blog を できるだけ多くの方に是非お知りいただきたく、
    私の Blog でもご紹介させていただきました。
    ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
    http://ameblo.jp/toshi-la/entry-11947031102.html

    お気に召さない個所がございましたら、ご遠慮なくお申しつけくださいませ。
    すぐに修正させていただきます。

    ブラジルはこれから暑い季節を迎えますね。
    おからだにはくれぐれもご自愛くださいませ。

  5. TOSHI より:

    mshoji 様

    いつもお世話になっております。 TOSHI です。
    昨年10月、My YouTube Site – Upload 曲【 最後探戈 】の背景で貴殿の
    素晴らしい写真ご提供にご諒承いただき、改めまして厚くお礼申しあげます。

    さて、今日は大変残念なことをお知らせしなくてはなりません。
    その【 最後探戈 】ですが、YouTube 側から「 著作権の侵害 」との警告を
    受けてしまいました。

    このまま放置しますと、My YouTube – Account を削除されてしまい、私の
    サイトが自動的に消滅します。

    そのような事情から、とても残念ですが 明日( 11日 )【 最後探戈 】を
    削除させていただきたく、ご諒承の程よろしくお願いします。

    今後、貴殿の素晴らしい写真にフィットするような楽曲を YouTube に Up
    することがありましたら、必ず使用させていただきます。

    以上、ご理解・ご高配賜りますよう、どうぞよろしくお願いします。

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